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『生き延びるための作文教室』 [☆☆]

・他者の中で自分の位置を自分で決めることが「自由」なのである。

・「思ったことを正直に言ってごらん」──僕たちは教室で何度こういう甘い誘いかけを受けたことだろう。いや、何度こういう危険な罠を仕掛けられたことだろう。でも、間違っても「本当の思ったこと」など言ってはいけないのだ。

・教室ではたった一つのことしか言ってはいけないのだ。道徳的に正しいことだけを。

・かつて文学を学ぶと「人格陶冶」になるなどと信じられていた「幸福な」時代があった。それは、近代文学が「近代的自我」の実現を目的としていると信じられていた時代である。

・山田詠美『晩年の子供』は短編小説である。飼い犬に噛まれた「私」が、狂犬病になって半年後には死んでしまうから、もう自分は「晩年」なのだと思い込んでうろたえ、それまでのクラスメイトとの関係を反省し、理科室で標本の石をたくさん盗むなどしてしまうが、飼い犬は予防接種をしているから大丈夫だと知って気が抜けてしまう話である。

・家が倒壊した原因は「地震のため」と答えることもできるし、「家の造りが弱かったから」と答えることもできる。すなわち「原因」として何を挙げるかは、客観的に決まっているわけではない、ということを物語っている。「原因」として何を挙げるかは、基本的には、それにかかわる人間の問題意識に依存するのである。

・歴史は因果関係の積み重ねから成り立っていることに気づいたからです。Aという出来事が起きたことによって、Bが発生し、Cにつながる。こうして現代が存在します。歴史を知ることにより、現代をよりよく理解できます。

大学の卒業証書が必要な人間は、天才ではない。そもそも大学は、天才でもなければ個性的でもない人間が何とか社会で暮らしていけるための何かを身につけるための機関なのである。

・「他者ではない」という否定形でしか自己は形成できない。自己を自己たらしめているのは他者の存在なのだ。

・評論はふつうでないことを書くものだ。あえて品のない言い方をすれば、それは評論が商品だからで、読者に「なるほど、そういう考え方もあるのか」という驚きや楽しみを与えなければ原稿料に値しない。

・君たちも気づいていると思う。何か大きな事件が起きたときには、マスコミがお祭り状態になることに。あえて言うと、「事件」は退屈な日常生活の中のお祭りなのだ。

・僕たちは「人の不幸」を消費する社会に生きている自覚は持っていた方がいい。

・評論の良い読者とは、「ふつう」がよくわかっていて、それでいて「しかし」以降に楽しく驚くことができるような柔軟な思考の持ち主だということがわかるだろう。

・「悪いことは悪い」としか思えないように思考が硬直しているようでは、評論の良い読者にはなれない。と言うことは、良い作文の書き手にもなれない。

・「クオータ制」とは、たとえば国会議員の数をあらかじめ「女性三割」という具合に割り当てることを言う。四分の一を意味する「クウォーター」ではない。

・どうやら、そもそも日本には大量のロースクールを作るほど弁護士は不足していなかったらしい。それで、現在は多くのロースクールが定員割れ。

・学校空間の個性はガラスの壁の中でしか許されない程度の個性だった。

・「江戸っ子」は明治維新の負け組だと思われていたから、大威張りできるような立場ではなかった。

・読書感想文は君たちの人物評価であり、思想調査であるのだ。大人になって犯罪を犯してしまったとき、中学の頃の作文や読書感想文が引っ張り出されて、「中学生の時からヘンな生徒だった」と報道されるではないか。社会が、作文や読書感想文を思想調査だと認めているのだ。

・一生「良い子」でいなければならないなんて、何と息苦しいことか。

・ある小説家が言っている。「小説の言葉はすべて意味があるか、すべて意味がないかのどちらかだ」と。小説は神はこういう細部に宿っている。辻褄の合わないところこそ、面白いのだ。



生き延びるための作文教室 (14歳の世渡り術)

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タグ:石原千秋
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