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『続 羊の歌 ─わが回想─』 [☆☆]

・「戦後の虚脱状態」という文句も使われた。しかし私が乗合の窓から眺めた東京の市民の表情は「虚脱状態」で途方に暮れているどころか、むしろ不屈の生活力に溢れていた。「虚脱」していたのは、戦争を讃美した言論界の指導者たちであったかもしれない。

・彼らはそれぞれの家庭で、よい父やよい夫であったにちがいない。その同じ人間が、昨日までは中国の大陸で人を殺していたであろうことが、どうして折り合うのか。日本人の人柄が変わったのか、それとも変わったのは、さしあたりの状況にすぎず、同じような条件が与えられれば、また同じような行為がくり返されるだろうということか。

・私は懐疑主義者であり、しかし実際にはその懐疑主義に忠実でなかった。すなわち、よほど暇な時でなければ、眼の前のシナそばが、実在するかどうか、いかにして私が五感を通しそれを知り得るか、というようなことを考えもしなかった。

・「勝って来るぞと勇ましく、誓って国を出たからは……」。戦後20年を通じて、その歌は私の耳の底にも鳴りつづけていた。しかしその歌が聞こえないほど大きな声で怒鳴ることの必要なときもあったのである。

・その本をかなり丁寧に読んで、理解したつもりでいたが、私が理解していたのは、すじ書きにすぎなかった。

・どうもスペインの牡牛と米国人には似たようなところがある、赤い布を見せると、忽ち興奮して理性を失う。

・平安時代の貴族が何を美しいと感じ、何を醜いと感じたか。彼らの気心を忖度するには、単に想像力だけでは足りず、学問的な知識の授けをかりなければならない。

・源氏物語の主人公たちが横笛でどんな旋律を吹いていたのか、われわれは知らない。平安時代の貴族文化とわれわれとの間には断絶がある。

・「核兵器に反対といえば、すぐに何故かというけれどもね、それは、君、広島の悲願だよ、わかるだろう、そういえば」。私が覚えているのは、そのときフランス側の「議論」と、日本側の「悲願」との間に横たわっていた途方もない距離である。

・そのとき芸術家は、もはや自分の意見ではなく、ただ事実と真理だけを語ろうとして、傍からもそれとわかる渾身の努力を傾けていた。

・白色と有色の区別を強調し、さらにその対立を強調することは、もはや有色人側にとって不利であるよりも、はるかに白人側にとって不利であろうと思われたからである。世界の人口の多くは有色人で、その有色人が世界歴史の過程のなかに登場した以上、少数者の側で対立を強調するほどばかげたことはない。

・もし私に容姿への関心があり、日本人のなかではわが容姿が抜群であると信じていて、しかも西洋人とくらべてはそう信じることができなかったとしたら、私もまた西洋人のつくりだした美的価値(または美の標準)を拒絶しようとつとめるか、西洋人を崇拝して髪の色を染め変えるほかなかったのかもしれない。

・金の問題だけではなくて、親が子供にどういう教育を望むかということにもよるでしょう。

・よい問題を択ばなければ、よい仕事はできない。どうしても解答の得られないときには、問題そのものを検討しなければならない。

・フランス革命を呪うか、讃美するかは、情報のかぎりない豊富さにもかかわらず、つまるところ問題がその人の立場に帰するので、第三者の客観的な判断が不可能なのである。

・仕事に没頭して一年を過した後、私はしばしば、あたかもその一年がなかったかのように感じた。一年の間に、来り去った季節と、周囲の世界におこった出来事のすべてを、もはや覚えていなかったからである。その間研究室の外では、私は生きていなかった。

・私が政府の宣伝に迷わされることがなかったのは、実際におこりつつあることを知っていたからではなく、知らなくても容易に見破れるほど、宣伝が自己矛盾にみちていたからである。

・何も知らずに暮らしているのが、いちばん幸福だね。

・大多数の国民が政府に反対したのは、条約の内容についてではなく、条約の批准手続きについてであった。条約の内容は、日本国の対外関係に係り、条約の批准手続きは、国内の民主主義に係る。いわゆる「安保闘争」の未曾有の大衆動員は、国内問題であった。



続 羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 690)

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タグ:加藤 周一
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