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『戦争社会学 理論・大衆社会・表象文化』 [☆☆]

・人間が好戦的な「ホモ・ベリクス(Homo bellicus)」であるかのようにテロ、紛争、内戦が頻発する。

・死者に鞭打つことをタブーとし、「遺族への配慮」を重んじる予定調和的な戦争表現。

・自国家と他国家の差異は、「文化」として認識される。異文化としての他者像が構成されると同時に、「民族」固有の文化も構成されるのである。

・国民と軍隊と異なる点はもはや、国民の方が不完全で、統一性と組織度が薄く、何か無定型で厳しさに欠ける、というところにしかない。国民は、軍隊の薄められた状態にすぎない。低度の軍隊といってもよい。

・「総力戦」の本質は、大量の物資の必要を本質とする消耗戦である。

・「総力戦」が戦場の勝敗ではなく、軍事力を支える経済力による戦いである。

・国民は、その「全体」としての生存を賭け、戦闘員と非戦闘員とを問わず、最前線と銃後とを問わず、広汎に戦争に巻き込まれていった。それが「総力戦」である。

・「遺族への配慮」は、客観的には、証言を封じるための「殺し文句」となっていた。

映画『きけ、わだつみの声』が記録的な興行成績をあげたことも、「悪逆な職業軍人」とは好対照な学徒将校像の流布を促した。

・ここで描き出しているのは、経験が豊富な部下からの軽蔑を恐れて、彼らに激昂し、暴力を振るうしかなかった学徒将校の虚勢である。

ペラペラ喋る奴は、私も含めてたいした戦闘経験もしていない連中です。

・孤独感に苛まれて、むせび泣くが、その際の涙が口に垂れ、塩味を感じる。これは、「自分の体の中にこんなうまいものが残っている」ことを実感させた。

・『仁義なき戦い』は、目的のためには手段を選ばず、裏切りを躊躇することもない暴力団抗争の弱肉強食ぶりを描いたことで話題になった。人々は従来の任侠映画に定型的な陳腐さを嗅ぎ取るようになり、任侠ものは一気に衰退した。

・戦後70年余を経て、「記憶の継承」の切迫感が多く語られるが、懐疑を欠いた死者や体験者の称揚は、かえって忘却を後押しするものでしかない。

・追及する野党も報道する新聞もどこか他人事である、問いのボールをパスし合うだけで、誰もシュートを決めようとしない。

・首相が自衛隊に「そこで死んできてくれ」と言えるかどうか。それだけの政治の覚悟が問われているのです。

・自衛官は必ず死ぬ。軍隊とはそういうものである。死ぬことを前提にしなければ、自衛隊は成り立たないし、指揮官は存在できない。

・生き残った同世代を含む「未来の世代」の側で、無意味な死を無意味なままで終わらせないために、戦後日本の復興と繁栄のために働いた人々は確実にいたのである。

・純粋贈与は返礼を期待しないし、贈与と意識したり、意識させたりしない。「贈与が純粋に返礼なき贈与であるならば、贈与する当事者も贈与される当事者もそれが贈与であると気付いてはならない」からである。

・自らの被爆体験の詳細や詳細や意味を見つめ直し、言葉を尽くして物語とし、それを反原水爆、核兵器廃絶の平和運動にとって自分にしか使いこなせない「武器」として積極的に活用しているのである。



戦争社会学――理論・大衆社会・表象文化

戦争社会学――理論・大衆社会・表象文化




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