『もう一度学びたいクラシック』 [☆]
・バロック音楽の特徴のひとつとして、「異なるもの同士の対比」があげられます。その特徴が独奏者とオーケストラとの対比というかたちで、はっきりと現れているのが協奏曲。協奏曲は、まさにバロック音楽の代表的なジャンルです。
・バロック時代まで、クラシック音楽は宮廷や教会で演奏されるものでした。この構図は、市民層の繁栄とともに大きく崩れていきます。演奏や楽譜という「商品」に対価を払って「消費」する「聴衆」が誕生したためです。
・ロンドンは18世紀におきた産業革命を通じ、世界一の繁栄を誇るようになります。しかし、自国の音楽創作は17世紀の繁栄が嘘のように衰退。豊かな富は、外国の優れた音楽の流入を促すことになります。一級品の音楽を「消費」する大都市の誕生です。
・世界最初の国家「ゴッド・セイブ・ザ・キング」が各国の国歌のさきがけとなる。
・ピアノという楽器名は、もとは「フォルテピアノ」の略で、当初は「フォルテ(大きな音)」と「ピアノ(小さな音)」の双方を自在に鳴らせることを表したものでした。
・ピアノという「家具」を家に置くことは金銭的な意味で、それによって奏でられる音楽を楽しむことは精神的な意味で、豊かさの証しだったのです。
・「op.(オーパス)」は作品番号のこと。「op.」とはラテン語の「opus(オプス)」の略で、「作品」の意味です。
・ヨーロッパ人にとって古代ギリシャは文化の故郷です。
・現在、世界で最も有名な音楽事典が『ニューグローヴ音楽大事典』です。この事典は、最も信頼し得る音楽事典として、世界中の愛好家やプロの音楽家、そして音楽学者によって使われています。
・セリー音楽は、音の高さのみならず、音の長さ、強さまでをもセリー(音列・数列)で制御する音楽。最初にセリーを設定した後は、自動的に曲の大部分が決定されることになります。
・セリー音楽は、ひとつの数列から全体が導き出されているだけあって、まるで機械が作曲したような乾いた響きに満ちています。ある意味ではこれほど非人間的な音楽もないでしょう。
・ミュジック・コンクレート(具体音楽)と呼ばれる音楽。それは、レコードやテープに録音された音を、さまざまにつなぎ合わせ、さらにレコード(テープ)の回転数を変えたり、逆回転させる操作を通じ、曲を構成するというものです。
・一般の音楽は抽象的なピアノヴァイオリンの音を素材にし、具体的な風景や概念を描くといいます。それに対して、外界の音という「具体的」な素材を用いながら、それを加工して「抽象的な」作品を作り出すというのです。従来の音楽が「抽象→具体」という経路をたどるのに対して、ミュジック・コンクレートは「具体→抽象」という道筋をとるというわけです。
・レコード(CD)は、誰でも、何度でも聴くことができます。音楽ファンはいとも簡単に演奏家の比較ができるのです。この結果、演奏家には、他人とは異なる強烈な「オリジナリティ」が求められるようになりました。
・レコードをリリースするということは、過去の巨匠から現在の若手までに至る、分厚い「演奏の歴史」の中で評価を下されることを意味するのです。
・演奏自体の「個性」だけではなく、数奇な運命などを経験した演奏家自身の「個性」への注目も、現在、かつてないほどに高まっています。

・バロック時代まで、クラシック音楽は宮廷や教会で演奏されるものでした。この構図は、市民層の繁栄とともに大きく崩れていきます。演奏や楽譜という「商品」に対価を払って「消費」する「聴衆」が誕生したためです。
・ロンドンは18世紀におきた産業革命を通じ、世界一の繁栄を誇るようになります。しかし、自国の音楽創作は17世紀の繁栄が嘘のように衰退。豊かな富は、外国の優れた音楽の流入を促すことになります。一級品の音楽を「消費」する大都市の誕生です。
・世界最初の国家「ゴッド・セイブ・ザ・キング」が各国の国歌のさきがけとなる。
・ピアノという楽器名は、もとは「フォルテピアノ」の略で、当初は「フォルテ(大きな音)」と「ピアノ(小さな音)」の双方を自在に鳴らせることを表したものでした。
・ピアノという「家具」を家に置くことは金銭的な意味で、それによって奏でられる音楽を楽しむことは精神的な意味で、豊かさの証しだったのです。
・「op.(オーパス)」は作品番号のこと。「op.」とはラテン語の「opus(オプス)」の略で、「作品」の意味です。
・ヨーロッパ人にとって古代ギリシャは文化の故郷です。
・現在、世界で最も有名な音楽事典が『ニューグローヴ音楽大事典』です。この事典は、最も信頼し得る音楽事典として、世界中の愛好家やプロの音楽家、そして音楽学者によって使われています。
・セリー音楽は、音の高さのみならず、音の長さ、強さまでをもセリー(音列・数列)で制御する音楽。最初にセリーを設定した後は、自動的に曲の大部分が決定されることになります。
・セリー音楽は、ひとつの数列から全体が導き出されているだけあって、まるで機械が作曲したような乾いた響きに満ちています。ある意味ではこれほど非人間的な音楽もないでしょう。
・ミュジック・コンクレート(具体音楽)と呼ばれる音楽。それは、レコードやテープに録音された音を、さまざまにつなぎ合わせ、さらにレコード(テープ)の回転数を変えたり、逆回転させる操作を通じ、曲を構成するというものです。
・一般の音楽は抽象的なピアノヴァイオリンの音を素材にし、具体的な風景や概念を描くといいます。それに対して、外界の音という「具体的」な素材を用いながら、それを加工して「抽象的な」作品を作り出すというのです。従来の音楽が「抽象→具体」という経路をたどるのに対して、ミュジック・コンクレートは「具体→抽象」という道筋をとるというわけです。
・レコード(CD)は、誰でも、何度でも聴くことができます。音楽ファンはいとも簡単に演奏家の比較ができるのです。この結果、演奏家には、他人とは異なる強烈な「オリジナリティ」が求められるようになりました。
・レコードをリリースするということは、過去の巨匠から現在の若手までに至る、分厚い「演奏の歴史」の中で評価を下されることを意味するのです。
・演奏自体の「個性」だけではなく、数奇な運命などを経験した演奏家自身の「個性」への注目も、現在、かつてないほどに高まっています。

- 作者: 西村 理
- 出版社/メーカー: 西東社
- 発売日: 2000/01/01
- メディア: 単行本
タグ:西村 理
『江戸の繁盛しぐさ』 [☆]
・美学館とは言わない。美術館だ。今は学ばかりあって、術を忘れた時代なんだね。
・「三脱の教え」というものがあった。その人の年齢、職業、地位に触れてはならない。
・江戸っ子の見分け方の最大公約数は、「目の前の人を仏の化身と思える」「時泥棒をしない」「肩書きを気にしない」「遊び心を持っている」の4つといわれてきた。
・江戸っ子は、周りの人々に「江戸人の手本」と言われるような人間になりたいと、皆、心掛けていた。
・「見て分かることは言わない」。汗を流している人が見えたら、「汗かいてますね」とは言わないで、すぐ冷たいおしぼりや水を一杯さしあげよ、という即実行のすすめなのだ。
・結界をわきまえるとは、自分の存在場所、あるいは在り方(位置づけ)がきちんと客観的に把握できること。自ら自分の身のほど、立ち場をわきまえることが出来ることを言う。
・離婚の原因も、よく性格の不一致などと言われるが、あれはしぐさの不一致と思った方が良い。家柄、学歴、ルックスでなく、しぐさを見に行きなさい、自分自身の目で良く確かめなさい。これは良縁の鍵にもなる。
・講の由来は仏教に求められるが、江戸期になると、ある特定の目的ごとに集まるグループ、いわば選ばれた会員制のクラブを言うようになる。
・対談は二人、鼎談は三人、方談は四人の話を言う。席の場合、四人というのは縁起が悪いので方席と言った。星談五人、亀甲六人、七福神七人、車座八人で、十六人は二車座と言ったそうだ。
・お心肥。江戸の町衆の言葉で「おしんこやし」と読む。頭の中を豊かにすること、教養をつけること。
・皮肉なことに、言葉に一種の階級性ができたのは万民平等になったはずの明治以後。上官と兵の軍隊用後が国民皆兵で日常化したためです。
・「ウッソー、ホントー」のように若い女性がよく使う疑いの言葉は失礼である。相手は自分よりも常に博識と考えるのが礼儀。
・「そんなに偉い方とは知りませんで、とんだ失礼をいたしました」。これほど失礼な言葉はなかった。偉い人でなければ失礼しても良いことになってしまう。
・「です、でした」は自分が体験したことだけ。聞いたり、調べたりしたことは「ようです、そうでした」と言わなければならない。人の言葉を自分の意見のように述べるのは恥だった。
・「~へ」は方向を、「~に」は場所を示す。通学は学校にと言わなければならない。遊びに行く時は学校へとなる。
・江戸では付加価値をつけず、シンプルな儲け方、考え方をした。目的のものしか売らないし、買わなかった。商品にあれやこれや機能を加えるより、本来の機能をより良くするというのが商売の考え方だった。
・本来の意味とは違う。親父というのは、この中に入っていないんですよね。ここでいう親父は筆頭ということで、戸主の意味です。つまり、本来の意味は地震や雷の時に一番怖いのは火事である。それが「地震、雷、火事、親父」。
・職人は一連の仕事を全て出来る人を言う。自己完結ですな。これに対し、職工というのはある仕事の流れの中で部分的なことなら出来る人と区別するんです。
・無理難題を言ってくるのは本気でお付き合いする気がないからですよ。
・「三脱の教え」というものがあった。その人の年齢、職業、地位に触れてはならない。
・江戸っ子の見分け方の最大公約数は、「目の前の人を仏の化身と思える」「時泥棒をしない」「肩書きを気にしない」「遊び心を持っている」の4つといわれてきた。
・江戸っ子は、周りの人々に「江戸人の手本」と言われるような人間になりたいと、皆、心掛けていた。
・「見て分かることは言わない」。汗を流している人が見えたら、「汗かいてますね」とは言わないで、すぐ冷たいおしぼりや水を一杯さしあげよ、という即実行のすすめなのだ。
・結界をわきまえるとは、自分の存在場所、あるいは在り方(位置づけ)がきちんと客観的に把握できること。自ら自分の身のほど、立ち場をわきまえることが出来ることを言う。
・離婚の原因も、よく性格の不一致などと言われるが、あれはしぐさの不一致と思った方が良い。家柄、学歴、ルックスでなく、しぐさを見に行きなさい、自分自身の目で良く確かめなさい。これは良縁の鍵にもなる。
・講の由来は仏教に求められるが、江戸期になると、ある特定の目的ごとに集まるグループ、いわば選ばれた会員制のクラブを言うようになる。
・対談は二人、鼎談は三人、方談は四人の話を言う。席の場合、四人というのは縁起が悪いので方席と言った。星談五人、亀甲六人、七福神七人、車座八人で、十六人は二車座と言ったそうだ。
・お心肥。江戸の町衆の言葉で「おしんこやし」と読む。頭の中を豊かにすること、教養をつけること。
・皮肉なことに、言葉に一種の階級性ができたのは万民平等になったはずの明治以後。上官と兵の軍隊用後が国民皆兵で日常化したためです。
・「ウッソー、ホントー」のように若い女性がよく使う疑いの言葉は失礼である。相手は自分よりも常に博識と考えるのが礼儀。
・「そんなに偉い方とは知りませんで、とんだ失礼をいたしました」。これほど失礼な言葉はなかった。偉い人でなければ失礼しても良いことになってしまう。
・「です、でした」は自分が体験したことだけ。聞いたり、調べたりしたことは「ようです、そうでした」と言わなければならない。人の言葉を自分の意見のように述べるのは恥だった。
・「~へ」は方向を、「~に」は場所を示す。通学は学校にと言わなければならない。遊びに行く時は学校へとなる。
・江戸では付加価値をつけず、シンプルな儲け方、考え方をした。目的のものしか売らないし、買わなかった。商品にあれやこれや機能を加えるより、本来の機能をより良くするというのが商売の考え方だった。
・本来の意味とは違う。親父というのは、この中に入っていないんですよね。ここでいう親父は筆頭ということで、戸主の意味です。つまり、本来の意味は地震や雷の時に一番怖いのは火事である。それが「地震、雷、火事、親父」。
・職人は一連の仕事を全て出来る人を言う。自己完結ですな。これに対し、職工というのはある仕事の流れの中で部分的なことなら出来る人と区別するんです。
・無理難題を言ってくるのは本気でお付き合いする気がないからですよ。
タグ:越川 禮子
『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』 [☆]
・稚児もどり。今でいえば、たとえば駅のホームやバスの停留所で、傘を振り回してゴルフの練習をする人。こうした周囲の迷惑を考えない幼稚なしぐさをする人とは、おとなのつき合いができないとされた。
・官軍が江戸に入城し、勝ち誇って稚児のようにはしゃぎ回る姿を見た江戸っ子たちは「これでは三代目には国をエゲレスやアメリカに売ってしまうだろうよ」とか「500年とはいわないが、300年はあとずさりしてしまった」と嘆いたという。
・山のこだまと同じで、自分の心がまえ、言葉づかいしだいで、相手もそのように応ずるから注意が肝心だ。
・相手が自分より常に博識と考えるのが常識、礼儀だった。従って「知っていますか?」と聞くのは、とんだ傲慢な言い方になった。
・自分がすでに知っていることや、調べたことを「知ってる?」といって相手を試すいやな性格。現在、そんな人たちが増えている。自分が知っていることで、優越感を持ちたがる。相手が劣等感を持ったことにひそかな快感すら覚える。どうして、こんな世の中になってしまったのだろう。
・「言葉は惜しみ惜しみ使え」。これは江戸後期の禅僧・良寛和尚の言葉だが、事実は的確に、慎重にいった方がおくゆかしいし、信用も高まる。
・「戸締め言葉」とは、戸を締めて中に入れない、つまり人の話や意見を無視するような言葉のこと。「でも」「だって」「しかし」「そうはいっても」などといわず、なんでも聞き入れる素直さが江戸の世間を広くした。
・世辞、つまり社交辞令がいえることは、人間関係を円滑にする第一歩として、おとななら誰でも身につけておくべきことだった。寺子屋では世辞がいえるように子供をしつけた。
・一事が万事ではないが、人間の行いは一事が寄り集まって全体を形成している。
・勝手に時間を奪う行為は「時泥棒」といって厳しく禁じられた。金銭は借りてもあとで返せるが、過ぎた時間はとり返しがつかない。時泥棒は弁済不能の10両の罪といわれた。
・椋鳥はどこからともなく群れをなして飛んできてエサをついばみ、エサがなくなると、また群れをなしてエサを求めて去っていく。江戸っ子は物の言い方を知らない、道理をわきまえない人を「むくどり」と呼んで、忌み嫌った。
・人づき合いで大事なことは周囲の人々を不愉快にさせないこと。
・明和から文化、文政期(1804~1830年)の江戸は豊かで物余りの状態(現在のデフレの状況によく似ている)。人々は買い物や物見遊山には飽きて、人間を見ることを趣味にしているようなところがあった。
・職業につくとき、転職するときなどは、そこで働く人のしぐさを見て決める。外見的な条件だけでなく、必ず、そこで働いている人のしぐさを見て帰ること。そうでないと同じ苦労を繰り返すことになる。
・結婚もそうだ。現代の若い女性は結婚に三高(高学歴、高収入、高身長)の表面的事実のみを求めたがる。しかし「江戸しぐさ」は、相手のしぐさ(生き方、考え方、口のきき方、身のこなしなど)をよく観察して、自分の目で判断し、選びなさいと教えた。
・顔で選んだ人にははずれがあるが、しぐさで選んだ人にははずれがない。
・子供は親のふるまいを見よう見まねで見取りながら大きくなっていく。「子供は親のいうとおりにはならない。したとおりになる」といわれる。
・今の親、大人たちの生き方、考え方、心がまえ、口のきき方、立ち居ふるまい、身のこなしなど、自分たちのしぐさの中にどれだけ見習い、見取らせたいものがあるだろうか。疑問である。
・何のアクションもおこさず、怠惰にただ不快感のみを口走っているだけでは、子供の世界に蔓延するいじめの傍観者となんら変わりないではないか。
・「お気の毒に」といって、何のアクションも起こさない同情は「見下ろししぐさ」といって、そんな人間は世間から信用されなかった。
・江戸っ子がいうばかとは物知らずのこと。TPOにあったしぐさや言葉づかいできない人のことをばかといった。
・いい人というのはほめ言葉ではなく、どうでもいい人のこと。すなわち役立たずのことだ。
・わからないとか不明というのは、IQの低さ、ボキャブラリー(語彙)の貧困、知恵不測を暴露していることになり、とても恥ずかしい行為だった。
・その孫も、伯父や伯母に手紙を書くとき、「伯母さまお元気ですか?」と書いていると、祖母が「……か? のかの字を取りなさい」とたしなめたという。ときが流れ、あるとき、孫は祖母のいった真意に気づく。「「か」をつけることはたずねることになり、相手に返事を強要することになり、目上の人には失礼なことなのだ。けっして相手に負担をかけることをしてはいけないことを、ばばさまが教えてくれたのだ」と。孫は伯母など、目上の人にあてる手紙は「伯母さま、お元気のことと存じます」と、したためることを覚える。
・官軍が江戸に入城し、勝ち誇って稚児のようにはしゃぎ回る姿を見た江戸っ子たちは「これでは三代目には国をエゲレスやアメリカに売ってしまうだろうよ」とか「500年とはいわないが、300年はあとずさりしてしまった」と嘆いたという。
・山のこだまと同じで、自分の心がまえ、言葉づかいしだいで、相手もそのように応ずるから注意が肝心だ。
・相手が自分より常に博識と考えるのが常識、礼儀だった。従って「知っていますか?」と聞くのは、とんだ傲慢な言い方になった。
・自分がすでに知っていることや、調べたことを「知ってる?」といって相手を試すいやな性格。現在、そんな人たちが増えている。自分が知っていることで、優越感を持ちたがる。相手が劣等感を持ったことにひそかな快感すら覚える。どうして、こんな世の中になってしまったのだろう。
・「言葉は惜しみ惜しみ使え」。これは江戸後期の禅僧・良寛和尚の言葉だが、事実は的確に、慎重にいった方がおくゆかしいし、信用も高まる。
・「戸締め言葉」とは、戸を締めて中に入れない、つまり人の話や意見を無視するような言葉のこと。「でも」「だって」「しかし」「そうはいっても」などといわず、なんでも聞き入れる素直さが江戸の世間を広くした。
・世辞、つまり社交辞令がいえることは、人間関係を円滑にする第一歩として、おとななら誰でも身につけておくべきことだった。寺子屋では世辞がいえるように子供をしつけた。
・一事が万事ではないが、人間の行いは一事が寄り集まって全体を形成している。
・勝手に時間を奪う行為は「時泥棒」といって厳しく禁じられた。金銭は借りてもあとで返せるが、過ぎた時間はとり返しがつかない。時泥棒は弁済不能の10両の罪といわれた。
・椋鳥はどこからともなく群れをなして飛んできてエサをついばみ、エサがなくなると、また群れをなしてエサを求めて去っていく。江戸っ子は物の言い方を知らない、道理をわきまえない人を「むくどり」と呼んで、忌み嫌った。
・人づき合いで大事なことは周囲の人々を不愉快にさせないこと。
・明和から文化、文政期(1804~1830年)の江戸は豊かで物余りの状態(現在のデフレの状況によく似ている)。人々は買い物や物見遊山には飽きて、人間を見ることを趣味にしているようなところがあった。
・職業につくとき、転職するときなどは、そこで働く人のしぐさを見て決める。外見的な条件だけでなく、必ず、そこで働いている人のしぐさを見て帰ること。そうでないと同じ苦労を繰り返すことになる。
・結婚もそうだ。現代の若い女性は結婚に三高(高学歴、高収入、高身長)の表面的事実のみを求めたがる。しかし「江戸しぐさ」は、相手のしぐさ(生き方、考え方、口のきき方、身のこなしなど)をよく観察して、自分の目で判断し、選びなさいと教えた。
・顔で選んだ人にははずれがあるが、しぐさで選んだ人にははずれがない。
・子供は親のふるまいを見よう見まねで見取りながら大きくなっていく。「子供は親のいうとおりにはならない。したとおりになる」といわれる。
・今の親、大人たちの生き方、考え方、心がまえ、口のきき方、立ち居ふるまい、身のこなしなど、自分たちのしぐさの中にどれだけ見習い、見取らせたいものがあるだろうか。疑問である。
・何のアクションもおこさず、怠惰にただ不快感のみを口走っているだけでは、子供の世界に蔓延するいじめの傍観者となんら変わりないではないか。
・「お気の毒に」といって、何のアクションも起こさない同情は「見下ろししぐさ」といって、そんな人間は世間から信用されなかった。
・江戸っ子がいうばかとは物知らずのこと。TPOにあったしぐさや言葉づかいできない人のことをばかといった。
・いい人というのはほめ言葉ではなく、どうでもいい人のこと。すなわち役立たずのことだ。
・わからないとか不明というのは、IQの低さ、ボキャブラリー(語彙)の貧困、知恵不測を暴露していることになり、とても恥ずかしい行為だった。
・その孫も、伯父や伯母に手紙を書くとき、「伯母さまお元気ですか?」と書いていると、祖母が「……か? のかの字を取りなさい」とたしなめたという。ときが流れ、あるとき、孫は祖母のいった真意に気づく。「「か」をつけることはたずねることになり、相手に返事を強要することになり、目上の人には失礼なことなのだ。けっして相手に負担をかけることをしてはいけないことを、ばばさまが教えてくれたのだ」と。孫は伯母など、目上の人にあてる手紙は「伯母さま、お元気のことと存じます」と、したためることを覚える。
タグ:越川 禮子







