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『都市を生きぬくための狡知』 [☆☆]

・ワボンゴとは、スワヒリ語で「頭脳」や「脳」を意味するubongoに、複数人称詞を示す接頭語waを組み合わせた造語で、直訳すると「頭脳の人々」という意味である。

・オレたちは、最大の敵は最も身近にいる人間だと信じている。彼らはすぐに嫉妬してオレの人生を遅らせようとする。

・いつまでも儲からない商売にこだわったり、気が合わない人間と関係を続けるのは人生の無駄だ。利にならない仕事や関係など捨て、早く新天地に踏み出したほうがいい。

・ウジャンジャ(ujanja)は、スワヒリ語で「狡猾さ」や「賢さ」を意味する言葉である。

・商売には年間を通して売れる時期と売れない時期があり、1、2年目は一時的な需要の変動を理解できないので、好景気がずっと続くと勘違いし売り上げを使い切ったり、経営を無理に拡大したりすることで失敗することが多い。

・同じような暮らしや経験をしても、それをどのように評価するかは本人のその時の状況や価値観、聞き手との関係性に大きく左右される。

・中間卸売商たちは一般的に「カネ持ち」であるとみなされており、親族や同郷者かどうかにかかわらず、多くの人々から日常的に小銭をせびられる立場にある。

・多くの中間卸売商は、そのように小銭を乞われた場合に、ただ小銭を与えるよりは古着を提供して商売をさせた方が自らの利益にもなると考え、マリ・カウリ取引をはじめるようになった。

・かつて商売が好調であった頃は、古着をくれといわれれば「ほらよ、明日までに代金を返してくれよ」といった調子で気軽に渡していた。はっきり言って、誰でもよかったんだ。だって、彼らは必ず成功したから、誰と取引しようがオレたちはお互いにハッピーだった。でも今は、誰とでも取引できるわけではない。なぜなら彼らはたぶん成功しないからだ。

・誰にでも商売がうまくいかない時がやってくる。すると人々は自立心を持つ仲間と取引するようになる。自立した人々は値段を下げろなどと文句を言うが、全面的に生活を支援してほしいとは要求しないからだ。

・誰でも最初は片手を出すことから始める。しかし片手を出して与えられることに慣れると、次は両手を出すようになる。両手を出して与えられることに慣れると、次には帽子をひっくり返して差し出す。そしてついに「そんなに与えるものはない」というときになって、約束が違うと怒り出したり、裏切られたとショックを受けたりして、二度と現れなくなるのが親しい人間というものだ。

・マチンガが取引を望まない人物とは、働きかけても手応えのない人物、言い換えれば、厳しい都市世界を何としても生き抜くという覇気が感じられない「腑抜け」「甘ったれ」「ぼんくら」である。

・中間卸売商の不満は、具体的には、「反応がないので不安だ/つまらない」「弱すぎて、こっちが悪いことをしているような気になる」「甘ったれをあまやかすのは、負担だ」というものである。

・都市で生きていくために大事なことは関係を作ることだ。2000シリング貸してくれるひとりの友人ではなくて、ちょっと説得したら、200シリングをカンパしてくれるたくさんの仲間を。

・タンザニアにおける古着の利用は、植民地期にキリスト教団体が布教活動や慈善事業、「未開人の文明化」を目指す活動の一環として、古着を持ち込んだのが始まりだとされている。

・「ネズミの道」とは、ネズミが壁に空いた穴をすり抜けるように、法の網の目をかいくぐることを指して使われる言葉である。

・普通の客たちはオークションが開かれていても、どうやって古着を選んだらいいかわからなかった。客は、何度かオークションに参加して買い物に失敗すると、オレたちの露店にくるようになった。

・贈り物に対しては、もし返礼をしなければ対等な関係が階層的な関係になると予見されるときにこそ、返礼しなければならない。

・「与える義務」「受け取る義務」「返す義務」の三原則──「貰ってお返しをしない事は、貰った者より低い地位に落とされる事であり……」──は、対等な関係が階層的な関係に変化しないと予見される場合には、常に必ず機能するわけではないということである。

・中間卸売商の経営が順調で小売商に対して経済的に圧倒的優位であった2001年には、過度な生活補助を要求したり、売上をごまかしたりしても、中間卸売商に対して小売商は精神的劣位を感じることはなかった。しかし2003年以降、中間卸売商が経営難に陥り、中間卸売商と小売商の経済格差が縮小すると、過度な生活補助の要求や売り上げのごまかしは、小売商の精神的劣位を生じさせる可能性を持つことになった。そのため、小売商は、中間卸売商との間での「仲間」としての対等性が損なわれることを回避しようと、「自らも中間卸売商を支援している」と主張したりしたのである。

・彼らの商売はただ露店を経営する資本があればあればいいのではなく、他の都市アクターとのネットワークに基づく「不確実性への対処」を実現できて、初めて成立するものである。

・「口約束」なら商品がなくなれば、もうこれで終わりだと言えばすむし、商売がうまくいかない時に値下げはできないと言えば、納得してもらえる。給与を上げろとか、休みをくれなどと要求されないし、決まった給与が払えなくても文句は言われない。

・助け合いに感謝の気持ちが大切なのは、ビジネスの世界に限らないことだが、そこでの「お礼」は「給与」にはならないし、互いに助け合う気持ちや信頼がなくなれば、その関係はそれで終わりなんだ。

・雇用契約を結びたくない理由は、未熟練労働者の平均給与では生活できないにもかかわらず、雇用契約を結んだ場合には副業に従事しにくいというものだった。

・マチンガにとって、雇用関係が望ましくないのは、その都度の個人的な必要性に応じて給与額が変化しないためである。

・消費者の立場からすれば、マチンガから購入したほうが商店で購入するよりもまったく同じ商品が、安く購入できるということを意味する。これでは、商店がマチンガに依存しなければ1日に多くても5枚しか販売できず、商店経営が成り立たないのは、ある意味で当然の成り行きではないだろうか。

・この商世界は、スワヒリ民話に登場するウサギがハイエナだけでなく、お人好しのゾウや愚鈍なヒツジも騙すように、あるいは悪巧みに失敗して痛い目に遭ってもそれは「報いを受けた」のではなく、たまたま「失敗した」にすぎないように、偶然や便宜、都合に左右される不確実な世界である。

・「ポシビリズム possibilism」を次のように説明する。それは、「不確実性・未決定性の中に可能性を見出し、不確実な世界における人間の主体的活動の方途を模索しようとする」ことであり、「複雑な事態の予見可能性を求めすぎることが権威主義の温床であり、不確実性を受容していくことが多様性の持続に向け、全体主義的な、あるいは権威主義的な手法に代わりうる政策・戦略を提示」できるとすることである。

・ポシビリズムは、不確実性を前提にし、それだからこそ働きかけてやめない人間観に貫かれている。それは、あらゆる可能性に身を開き、いま可能な実践を繰り返す「賭け=逃げ」の姿勢や「思慮深き機会主義」が切り開く、ひとつの地平ではないだろうか。

・裏切られても次の可能性に賭け、結局また同じことを繰り返すしかない。

・王の権威とは、彼の追随者が彼を王として扱う行為が作り出しているものであり、追随者が王として扱うような行為をやめれば、王の権威は存在しない。

・「よそ者」とは、必ずしも異民族や異郷人を指すのではなく、縁者であることを理由にして道徳的義務を突きつけてくるような人々以外のすべての人々を指す。

・商人=よそ者論は、古くからみられる。経済の全歴史を通じて異教徒はいたるところにおいて商人としてあらわれるか、あるいは商人は異教徒としてあらわれる。

・状況主義的人間観──人間は状況に応じて期待される役割を演じるだけの存在であり、その人自身の個性や主体性など存在しない。

・「ゆっくり、でも確実に slow but sure」が口癖のドゥーラは、話すのも歩くのも何から何までのんびりしており、いつも何メートルも後方に置いていかれた。

・古着の梱にはランクがあり、最上位のランクは中米や南米に、中位ランクは東南アジアに、最低ランクがアフリカ諸国に輸出されている。アフリカ諸国用の梱はさらにランクA~Cに下位区分されており、タンザニアの卸売商このうち「アフリカ用古着のランクC(最低ランク)」を輸入している。



都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌―

都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌―

  • 作者: 小川 さやか
  • 出版社/メーカー: 世界思想社
  • 発売日: 2011/03/01
  • メディア: 単行本



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