So-net無料ブログ作成

『「居場所」のない男、「時間」がない女』 [☆☆]

・男性中心の社会で、男性同士の親密で均質性の高い社会を保持するため、構造的に女性を排除するあり方を「ホモソーシャル」という。そして、このあり方を下支えする倫理を「女性嫌悪(ミソジニー)」という。性的対象としての女性を嗜癖する一方で、女性を蔑視し、嫌悪することが特徴である。

・残念ながら多くの男性は、本音をぶつけてくる女性よりも、本年をうまく隠して「馬鹿づく」女性を恋愛や結婚のパートナーとして選びがちであるように見える。

・彼女たちにとって、離婚は「家族の幸せ」のための選択だったのである。だから現在の日本で、子供のいる離婚は、「家族の解体」ではない。実質的には、「家族の父捨て」なのである。

・ニートが15歳から34歳の無業者を指すのに対し、SNEP(孤立無業:Solitary Non-Employed Persons スネップ)とは「20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚無業者のうち、普段ずっと一人か、一緒にいる人が家族以外にいない人」を指す。

・2011年5月26日、ドイツの連邦議会は「連邦環境汚染防止法」を改正し、「乳幼児・児童保育施設及び児童遊戯施設から発生する子供の騒音への特権付与法」を可決したという。これにより、保育施設や遊戯施設から発生する子供の騒音についての損害賠償請求が禁止された。

・公共施設で苦情を発する人たちは、ほぼ高齢男性だという。言われてみれば、コミュニティセンターは一日中囲碁や将棋をさす高齢男性であふれ、図書館も一日中新聞や雑誌を読む高齢男性だらけである。ふと、考えた。この人たちは、どうして一日中ここにいるのだろうか、と。そうだ、高齢男性は、本当に他に居場所がないのだ。

・子供への苦情が増加した2013年は、団塊世代が本格的に引退しだした年である。団塊世代は、「昼間居住地域にいない」サラリーマン男性が、そうとして存在感を増した最初の世代でもある。その彼らが、急に大量に地域コミュニ的に帰ってきた。近隣住民の顔も知らない馴染みもない彼らには、子供の声はひたすら「騒音」に聞こえるのかもしれない。

・自宅では妻に鬱陶しがられて居場所がなく、近隣の図書館などで日がな一日新聞紙面をめくり、子供の声がうるさいと市役所にクレームを入れる時くらいしか他人とのコミュニケーション機会がない……。そんな老後は、果たして幸福だろうか。

・家で男の仕事とされていた労働のほとんどが、19世紀に技術・経済における革新によって消滅し、それまでは子供たちに割り当てられていた仕事もなくなってしまった。だが一方、女の仕事については、そうはならなかった。

・男性と子供たちは、学校に通ったり工場やオフィスで働くことができるようになったが、女性は「食事を作り、病気の子供たちを看病し、幼児を育て、繕い、洗濯しなければならなかったのである。

・洗濯機の普及や洋服の普及は、むしろ洗濯回数やアイロン回数の頻度を上げている。電気釜をはじめとした炊事関連の家電製品は、食事の内容を多用にし、毎回手をかけて暖かい出来立ての食事を準備する習慣を普及した。

・昭和初期までの農家の食事は簡素で、一汁一菜どころか農繁期には汁すら作る余裕はなく、米に「味噌だけ」なども珍しくなかった。米は冷や飯が普通で「なくなりそうになると炊く」ものだった。

・一般的なイメージと異なり、家電製品やインスタント食品普及は、女性の家事時間現象に役立ってはいない。現実的に最も家事時間短縮に役立ったのは、裁縫の手間を省いた「既製の洋服」だと指摘する。

・女性の生き方に関しては、お節介な魔法使いが常に呪文を唱え続けているようだ。「女の子は、大人になった「まだ結婚しないの?」と言われ、結婚したら「子供はまだ?」と言われ、一人産んだら「二人目はまだ?」と言われ、人からあれこれ言われ続けます。でも、離婚してしまえば、もう誰も何も言ってきません」

・1973年にも「ベビーカー論争」が起こったという。同年、国鉄・私鉄・地下鉄はベビーカーの社内への乗り入れを禁止。理由は、「ベビーカーが危険で、他の乗客の迷惑になる」というもの。当時はデパートもベビーカー禁止であり、都市の商業施設は実質的に子供を大きく排除する構図を持っていた。

・大人も子供も、障害者も「健常者」も、いろいろな人が乗れる空間、それが本来の鉄道の姿だが、実際は「大人の「健常者」が威張っていて、ベビーカーが乗り入れると嫌な顔をされる空間」だ。

・そもそも「公共性」とは、誰もが利用可能という「公開性」と、みなが同じルールを共有すべしという「共通性」、これら相反する原理を内包する概念である。

・障害者や乳幼児連れの保護者、足の悪い高齢者など、ルールをはみ出す身体的条件を有する者は、公開性のもとに利用しても、共通性の観点から排除の憂き目に遭う。

・大きすぎて見えない問題を、英語では「リビングにいる象」という。見慣れすぎて、異常が日常風景に親和し、誰もそのおかしさに気づかなくなっている状態を意味する。

・多くの人は、理念は寛容なつもりで、その実感情は不寛容なのである。

・寛容とは、自分に余裕があるときに、気まぐれに弱者に与える「ほどこし」ではなく、誰もが共存協働するための基盤であり、人権の問題でもある。

・昨今では紙の新聞をとる人も減り、ほぼ電子版ばかりになったので、新聞配達員が溜まった新聞を見て不審がるような機会も減った。

・日本人は効率のよい働き方をしているのかについては、これまでも疑問視されてきた。これを裏付けるのは、日本の「労働生産性」、つまり「購買力平価で換算した年間GDPを労働投入量で割って算出した労働生産性」の低さである。

・「1時間当たりの労働生産性」を見てみると、日本は40.1ドルと世界第20位、先進国では最低レベルである。

・時間当たりの生産性の高い国は、1位ノルウェー(86.6ドル)、2位ルクセンブルク(82.1ドル)、3位アイルランド(71.2ドル)。アメリカ(64.1ドル)や、G7平均(55.2ドル)、OECD平均(46.7ドル)。

・見える敵は戦いやすいが、巨大すぎて見えない敵は戦う気にすらならないのが人間である。



「居場所」のない男、「時間」がない女

「居場所」のない男、「時間」がない女

  • 作者: 水無田 気流
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2015/06/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



タグ:水無田気流
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: