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『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』 [☆☆]

・探検家であるからにはしなければならないことがふたつある――発見すること、そしてその発見を人々に伝えることだ。

・探検の主眼が、われわれが旅する大地の新たな面を発見することから、艱難辛苦や探検家個人の栄光へと移り変わった。

・屋外を見るときには、本を読むのとは逆向きに視線を動かしていくのも有効だ。われわれ西洋人の場合、世界を左から右へと見ていくと、どうしても、ひとつの場所から次に意味をなす「言葉」なり物体なりへと目が飛んでしまう。逆に右から左へ見ていくと、自然と注意深くなる。

・青や黄色を見る感覚は全員に同じように組み込まれているのだが、これはまだ海の中にいたわれわれの遠い先祖が、自分のいる深度を保つために青や黄色を見分ける必要があったからだ。緑と赤を知覚するようになるのは進化の上ではかなり新しい段階であると考えられる。

・知覚というものを生態系になぞらえて考えてみると、視力はいわば頂点の捕食者で、他の感覚を全部押さえつけて情報源のすべてを喰い尽してしまう。

・味覚は普段、嗅覚の出来の悪い弟分でしかなく、その地位を抜け出して堂々たる五感のひとつに昇格するのは、何か食べている間くらいのものだ。

・土壌の中で最も粒が大きいのは砂であり、砂の一粒一粒は、砂混じりの土を指でこすれば見ることができる。シルト(土粒子)は砂よりも細かく、最も細かいのが粘土だ。粘土の粒子は粉末に近い。

・たしかに蚊にもブヨにもこの世における使命があろうことは承知している。このものたちの使命は、肉眼では見えないほどの微小な虫の数を抑えることであろう。しかし蚊やブヨが有益なのは幼虫の時代である。ウジの姿にとどまっていればいいものを、何ゆえ蚊帳を持たぬ罪もなき傍観者を煩わすのか。

・将来の世代から見て、現代の思考のどのあたりがお粗末に映るのかはわからないけれども、確実にいえるのは、お粗末な部分は必ずあるということだ。

・石は、一般に対流によって、土中から上がってくる。土の中の水分が凍ってまた融けると、下方の水分は上方の水分より密度が低くなり、上へ上がろうとするが、このとき一緒に石を連れてくるのだ。

・「エレファント」を数えて稲光を見てから雷鳴が聞こえるまでの時間を測り、雷までの距離を初めて割り出したときのことを、大人になっても忘れられない人はたくさんいるだろう。ワン・エレファント、ツー・エレファント……という具合に雷鳴がとどろくまでの秒数をゾウの数で数え、それを三で割れば雷までのおおよそのキロ数、五で割ればマイル数になる(「エレファント」というのにおよそ一秒かかり、ゾウの数が秒数を表す。音が三秒で一キロ、五秒で一マイル進むため、そこから距離が得られる)。

・言葉は生きていて、ちょうどペットと同じく、それを守っている人々がどんな世話をするかで健康の度合いも違ってくる。言葉と表現は、生み出され、育ち、年老いて死滅する。

・パイオニアの多くは、性格的にどこかしら不器用だ。たぶん大勢の中にいてもちっとも居心地悪く感じない人間には、わざわざそこから離れて何百マイルも出かけていく必要がないのだろう。

・都会人は「相手を打ち負かせないなら仲間にしてしまえ」とモットーにするかもしれないが、だとすれば単独行の旅人のモットーはさしずめ、「相手の気持ちが推し量れないなら、捨てておけ」というところだろうか。

・探検家は何かしらの発見をしたなら、少なくともそれを伝えようと努力する責任がある。でなければその人は探検家ではなくなってしまうし、人生をもう一度、旅行者として送っていくしかない。

・私たちは誰しも、この世になんの足跡もしるせずに死んでしまうことへの恐れを、わずかにせよ抱いているものだ。だからこそ日記というものがあるのだろう。

・誰にだってうぬぼれはあるのだ。虚栄心のかけらもないと自負しても、それはそれで、ある意味自分の特別さを際立たせようとしているともいえる。



日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめ

日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめ

  • 作者: トリスタン グーリー
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2016/06/30
  • メディア: 単行本



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