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『現代思想の転換2017』 [☆☆]

・知が多様化し、情報も大量にあって、読む人がその関心を個性化していくための条件は整っているのに、なぜか一定の話題書ばかりが読まれ、同じようなテレビ番組を見ることで情報に触れるという方向に流れてしまう人が多い。

・外国語の著作は、訳されない限り日本語の環境には存在しない。世界各地には日本では知られていない重要な作品が無数にある。

・はっきり言えば、大量の紙くずがあってこそ光るものがあるのであって、紙くずはなければ困る。つまらない本がないと市場も広がらないし。

・90年代の大学人はおおむね文化左翼かリベラル・デモクラットだった。それが、今死にかけている。思想的には、空虚になっている。なにせ同じことしか言ってないし、言えないんですから。

・社会正義や平等理念を掲げるリベラルにしても、相も変わらずという感じになって、飽きられてきたんです。

・基本的には浮世離れで生きていこうと思っていたんです。

・大学の文系というのは宗教の末裔です。仏典の研究とか聖書の研究とか、教義学、典礼学の成れの果てです。

・文化産業は、ハイカルチャーと呼ばれる部分がないと持たないでしょう。そこから裾野が広がっていくところがあるわけです。

・映画産業を育成するには映画についてハイカルチャーっぽいことを言っている人が何人かいる必要はある。それに騙されて映画を観る人がいるわけです。

・己の身を削る改良案すら出せずに、あれこれ言ったって、それこそ特権階級のお話としか聞かれませんよ。

・はっきり言えば、それは欺瞞です。その類の欺瞞で動いているんです。

・ひるがえって施設とはいえば、何らかの名目で収容するわけですが、もちろんそこも欺瞞だらけです。

・被験者になりたがる人間であふれている。コントロールされたい、ナッジされたい、お任せしたい、誘導されたい、感動をもらいたい、元気をいただきたい、上手に泣かせてほしい、うまく騙してほしい、とか思っているわけです。

・誰かがやって見せなきゃいけない。それは大学か在野かを問わず、知識人の役割です。

・脳科学が描くような人間像なんてけしからんと哲学の人たちは言うかもしれません。しかし、現実にその脳科学で意識の働きなどが解明されてきている中で、それと対話しないで哲学をなおも行なうのは無理だ。

・人文学はいまだに人間中心主義的で、人間への関心が過剰になっている。

・2000年代という時代は、どちらかと言えばバラバラであることを否定的に捉え、そこからの脱出口として、つながりや絆や連帯や公共といった言葉が提示されていた。

・知識人は左派的な批判者であってしかるべきだということが、ドレスコードのように定まっている。

・自分の子供時代のことを書く作家ほど醜いものはない。

・グレーゾーンで何とか切り抜けるという感覚がやはり大事ですよね。偶然性にさらされて生きることの肯定。とはいえやっぱり人間は安心したい存在ですからね……。

・雑然とオブジェクトがある空間でも、部分的に、真っ白とか真っ平らのところを入れさえすればかっこよくなる。

・思考することはフィジカルなことで、人と人の間に起こる出来事である。

・すべてを信じなくてもいい(don't have to believe)のです。それは、あなたが考えていることのすべてを信じるな(don't believe)、というのとは違います。

・レイシストは、他の人々が楽しんでいるのを目の当たりにするとき、自分の楽しみが盗まれていると感じます。

・彼らレイシストには、楽しみが盗まれるということは、世界が消えることとして感じられる。世界が消えるとき、なぜ消えるかを説明してくれるものとして、幻想を作り出す。誰かが楽しみを盗んでいるということに関して、幻想を作り出します。

・経済が崩壊し、世界が消える。誰かがなぜこの世界が消えたかを説明するのにふさわしいパラノイア的な幻想を作り出すことを決定する。ユダヤ人、銀行の陰謀などです。



現代思想の転換2017: 知のエッジをめぐる五つの対話

現代思想の転換2017: 知のエッジをめぐる五つの対話

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 2017/01/25
  • メディア: 単行本



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