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『消費は誘惑する 遊郭・白米・変化朝顔』 [☆☆]

・バタイユは、「交換」からはみだす「消尽」という消費の機能を強調した。人はしばしば無駄遣いにみえる形で無用なモノを買い、または有用なモノをあえて無意味に使うという。

・『長者教』は、「銀を主とおもへ」と、近隣の家や血縁的上位者ではなく、疑似的にではあれ、貨幣を主人として仕えることが大切であると強調するのである。

・『長者教』の流行からは、血縁や地縁の代わりに貨幣を頼りに暮らす町の家の孤独な姿が浮かび上がる。

・遊郭は社交の場としてまず家に重宝された。満足な室内空間を準備できず、饗応のための教養も持たない新興の家にとって、遊郭は格好の社交の場になった。

・婚姻市場の中で有効な資産とならない家の娘を何とかお金に換えるために、遊郭は貧家や被差別の家にとって貴重な取引相手とになったのである。

・貧家や被差別の家の娘にとって、遊郭で身につけた教養や身体技法をもとに他家に移ることは、小さいながらも現実的な希望となったといえる。

・遊女は遊郭でしか買えないという意味で、特別の商品として客の前に現れた。それはまず遊女が、家から売られてきた娘を素材として、遊郭で作られた商品としてあったからである。

・遊郭には、いわば金を支払うことで階層や身分を乗り越える消費のユートピアがつくられていたのである。

・高ひ物とおもふは、ちいさき目から也。

・それを証明するために賭けられたのは、身請けのように貨幣ではなかった。貧乏人や遊女でも所有する命を代償として、心中は実行されたのである。

・身請けでは巨額の金を支払うことで他の客や遊女屋の干渉を排して、客が遊女を独占することが狙われた。心中死はさらにそれを金さえ支払わずに実現することで、遊女の家父長的支配を金をあまりもたないより大衆的な人々にまで解放するのである。

・稲作の増加というそれ自体としては望ましい結果を原因としていたからこそ、米価安を解決することは政策的にも難しかったのである。

・18世紀中頃の米価の低下に対して、綿や菜種や生糸などの価格が19世紀まで相対的に高止まりしていることが観察される。その要因になったのが、米を主食とした都市民の可処分所得の増大である。食事のコストが下がることで可処分所得が増加し、他の消費財の購買が活発化した結果、米以外の商品の価格が下げ止まる。

・米価安によって稲作農民の収入はたしかに逓減したが、逆に日雇いや副業で現金収入を得て、米を買い食べる「遊民」が村でも力を強めていくのである。

・もともと中世の飢饉は気温の上昇を主な原因としており、それが夏の干魃を発生させることで、局所的な被害を引き起こしたといわれている。対して近世には冷害が主な原因となり、またしばしば地域を超えて拡大するものへと飢饉は変わる。

・基金を気候変動に基づく自然現象という以上に、稲作を根幹に組み込む幕藩的権力システムの宿痾とみたほうがよい。稲作を奨励していくことを前提として飢饉は発生し、だからこそそれを克服することも難しくなった。

・18世紀には米価安によって、普段は安価な米を食べ暮らす遊民的人々が急増する。だが皮肉なことに、それを前提として飢饉は特定の村に留まらず、広範囲に拡大することにもなったのである。

・元禄の時代に脚気が「江戸煩」として江戸で問題化されてから後、18世紀前半から後半にかけて京や大坂をはじめとする日本各地の都市で脚気が蔓延することになった。通常ビタミン不足は副食物で補われるが、それを超えて白米に偏った食事が18世紀の大都市や中都市で日常化されていったことを、こうした脚気の流行は示唆するのである。

・精白は米を、自分の好みで見た目や味を変えることのできる対象へと変貌させる。金を支払うことで、米を自分の好みにあった対象に自由に操作(カスタマイズ)できるできるようになったのであり、そうして米は微細な色や味の変化を味わう私的な享楽物に変わったのである。

・酒の革新は、中世末に麹米・掛米ともに精白を施す透明な諸白酒が造られることで始まった。それによって酒は家庭内製造できず、貨幣によって買われるいわば工業製品へと変貌していく。

・大都会の住人に純度の高い酒が受け入れられたのは、ひとつにそれが容易に酩酊を促し、仲間たちと離れて一人で飲む寂しさや虚しさを紛らわしたためと考えられる。不純物を含まない辛い酒は、いわばドラッグ的に享受されていくのである。

・通常主役となる「立役」は、政治や軍事に関わる男だけの世界を真剣に生きることが立派とされ、その妨げになる恋愛に関しては、受動的に惚れられることしかせいぜい許されていなかった。

・本草学的図譜は精緻な図や解説によって、それまで無視されてきた自然物を、見るに値する対象として知的に見直すことを誘惑していく。

・都市図会や見世物も、都市の風景やそこに集まる物事を群衆たちが楽しむスペクタクルへと変えていったのである。

・アサガオの花弁の色素には、青、紫、赤などのアントシアンと、薄い黄色のカルコンやオーロンなどのフラボノイドがあるが、濃い黄色のもとになるカロチノイド系色素をもっておらず、濃黄色の朝顔を作り出すことは、遺伝子的に不可能とまでいわれている。

・都市の富裕化は、衣食住に関わる商品の微細な違いにこだわり、その追求に金をかけることを人々に要請していく。その結果、それは逆説的にも生活コストの上昇についていけない脱落者を増加させた。

・氷河期の影響によって西欧には貧弱な植物層しか残されていなかったといわれている。

・地域で消費が増大していくことで、大坂市場に持ち込むまでもなく米が吸収されていくのであり、その結果として大坂に集まり貯蔵された米を示す越年米高も、19世紀に入ると急速にしぼんでいる。

・江戸では19世紀初め、遊郭を中心として花開いた「粋」や「通」といった従来の理想を相対化する「野暮」な文化が力を振るい始めた。それを後押ししたのが、各地から流入する細民たちである。

・江戸の遊女や芸者との遊びの代わりに、宿場の飯盛女との交流を面白おかしく描き出すことによって、それらは都市の外部にいまだ知られていない楽しみがあることを、逆説ながら表現していく。その意味で、『東海道中膝栗毛』やその続編の流行は、「粋」や「通」といった大都市の根生いの美学を疑う人々が、都市の内外に厚い層をなし始めていたことをよく照らし出すのである。

・幼女の奉公の禁止が、貸座敷での具体的な遊びも変えた。そもそも遊郭の遊びは、幼い娘を生家から引取り、長期の間教育を施すことを基本としてきた。・幼女奉公の禁止は、遊女屋による統制から遊郭の遊びを次第に切り離し、それを客と娼婦の二人が相対して行うより単純な行為へと変える具体的な契機になったのである。

・私娼たちが売買春をやめたとしても就ける職業は限られていたからであり、極言すれば、私娼にとって都市そのものが逃亡を防ぐいわば「廓」として働いていたとさえいえる。

・たんに貧しかったからではなく、故郷に錦を飾る可能性を捨てられなかったために、都市に流れ込んだ人々は、持ち家を買うことなく借家で暮らし続けたのである。実際、戦前の借家率は東京で7割、大阪で9割以上だった。

・教育勅語の発布(1890年)を最初の契機として、天皇を家長として擬制する家族国家観が発達する。家族主義的国家は、家の体制から疎外された小家族の増大によってむしろ後押しされたものとみなしている。家を離れ、不安定なものとなった小家族の欲望こそ、家族主義的国家の成長の基盤となったというのである。

・小家族の構成員が自力では獲得しがたい生きる意味や死ぬ意味の根拠を、近代国家が保証したことが重要になる。






タグ:貞包英之
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