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『大放言』 [☆☆]

・バカな若者はたいていバカな大人になり、バカな大人はたいていバカな老人になる。

・何もできないのに夢だけは大きな子。そういう子たちに共通するのは「自分はやればできる子」と思っていること。

・そういうこの親もやっぱり同じことを思っていて、全然勉強ができないのに、「先生、この子はね、やればできるんですの」と言う。

・今の小学校は絶対評価だし、その上、通知表に「できない」という評価はよほどの場合じゃないとつけない。だからできない子も自分がどれほどできないのか自覚のないまま大きくなっていく。で、周囲の人からは「君はやればできる子だから」と言われ続けて、自信だけは優等生なみに持っている。始末に負えんよ。

・「自分はやればできる」というのは魔法の言葉だ。しかしこの魔法の言葉が効果を持ち続けるためには、ある条件が必要だ。その条件は、「実際にやってはいけない」ということだ。

・「やればできる」という言葉は、「やればできた」者がいう言葉だと思う。

・何もやったことのない子に「やればできる」と言うのはやめようではないか。彼らに言うべきことは、「やらないのは、できないのと同じだ」という言葉だと思う。

・仕事は生活のためにするもので、楽しんでやるものではない。「好き、嫌い」で選ぶなら、それは仕事ではなく趣味である。

・なんでもかんでもコストパフォーマンスで考えるのはやめろ。そんなことを言いだしたら、お前の人生自体、この社会から見たら、ろくなコストパフォーマンスじゃないぞ。

・地方自治体の議員の報酬はなぜ減らないのか。議員報酬を減らすという議題に、議員たちが絶対に賛成票を投じないからだ。

・地方議会の議員ほど、言うことのスケールが大きい。我々○○市はいかに世界平和に貢献できるか、なんてことを議会で堂々と発言するんだ。保育所一つ作れない議会が、何が世界平和に貢献だよ。

・「○○市は非核都市を宣言します」という大きな看板や垂れ幕を目にすることがたまにある。「非核宣言」も何も、核を持とうと思っても無理だろうとツッコミを入れたくなるだが。

・併合前の朝鮮は凄まじい階級社会であり、厳しい身分制度があった。(1)王族(2)両班(3)中人(チュンイン)(4)常人(サンイン)(5)白丁(パクチョン)の五つに区分される。(1)(2)(3)までが上流階級で、(4)の常人は庶民、(5)の白丁は賤民である。またそれとは別に奴隷制度があり、併合前の朝鮮では人口の約三割が奴隷であった。

・いくら教えても因数分解が理解できないというか、理解しようとしない子がいるのは仕方がない。そういうのにいくら教えても無駄だ。それと同様、中学生にもなって、どうして人を殺してはいけないかがわからないアホには、何を言ってもわからない。

・なぜこんなに「量刑」が軽いのか? それは現行刑法が作られたのが明治40年(1907年)だからだ。百年前の日本と現代の日本では何が最も違うか――平均寿命である。

・人が亡くなる平均年齢は50歳くらいだった。つまり寿命を50年と考えると、「懲役15年」というのは決して軽くない「刑」だった。30歳の男が人を殺して「懲役15年」の刑期を務め上げた後の釈放されても、彼の残りの人生はもうほとんど残っていないという状況だった。

・「人の命を奪う」ということは、その人の人生の残り時間を奪うということである。つまり殺人の罪は百年前よりも重くなったと言えないだろうか。

・かつて死刑執行の書類に何枚も判子を押した法務大臣を「死神」呼ばわりした、人権をを標榜する大新聞もある。本当の「悪魔」や「死神」は、殺人を犯した犯人なのに――。

・たとえば新作映画が封切になったとき、自治体が「お金に余裕のない人」向けに、市のホールなどを使って、同じ映画を無料で観せたりしたらどうだろう。たちまち映画館は閑古鳥が鳴き、映画会社や配給会社は大きな痛手をこうむるだろう。今、図書館が小説に対して行なっていることはまさにこれなのである。

・だいたい税金をたいして払っていない者ほど、公務員などに向かって「誰の金で飯を食ってると思ってるんだ!」と言う傾向がある。

・一流作家は締切に遅れることはありません。雑誌に穴を開けたりするのは、二流作家です。

・おそらく彼らの頭の中には、ユートピアのような理想的な「無格差社会」が存在し、それと比べて日本は格差があると思っているとしか思えない。

・日本では、年収1000万円以上のサラリーマンは全体の5パーセントで、年収1500万円以上は1パーセントだという。さらに年収2000万円以上となると0.1パーセントだ。

・要するに、自己啓発本コレクターは、毛生え薬をはしごするハゲと同じなのだ。「今度こそ効くに違いない!」と期待を込めて買うのだ。

・実は「ちょん」という言葉は江戸時代から庶民が普通に使っていた言葉だった。「取るに足らない小さなもの」という意味だ。文字の「点」なども「ちょん」と言う。

・タレントがたまたま鼻血を出した。そのVTRはスタジオで爆笑だった。放送後、ある視聴者から猛烈な抗議があった。その人は血が止まりにくい難病を患っている人だった。その抗議は「私たちは鼻血でも命にかかわります。それなのに鼻血が出ているシーンを笑いものにするなんて許せません」というものだった。

・昭和40年くらいまで、テレビでは「こびとプロレス」というショーを放送していた。ところが「良識ある人々」からの抗議によって、テレビでは放送できなくなった。そのおかげで「こびとプロレス」のレスラーたちの多くが失業したという。彼らは健常人のように普通の職業には就きにくい人たちだっただけに、生活はたちまち困窮したという。

・最も腹が立ったのは、毎日新聞がアメリカ大使館に「日本の百田尚樹という作家が、東京大空襲を大虐殺だと言っています」とわざわざ告げ口に行ったことだ。そして大使館が「非常識な発言だ」というコメントをすると、それを嬉々として報道した。それを知った朝日新聞は、今度は本国の国務省まで確認を求め、同じ回答をもらうと、これまた嬉々として報道した。

・日本の平和主義者くらい好戦的で攻撃的な人たちもいない。彼らは「平和」のためなら「人殺し」も「戦争」もやむを得ないと考えているように思える。

・自衛隊はポジティブリストの考え方で、やっていいこととして列挙された行動しか取れません。ところが戦争中の軍隊はやってはいけないこと(ネガティブリスト)以外は何をしてもいいのです。

・竹島が韓国に占拠されたのは1953年であるが、当時、日本にはそれを守る武力がなかった。自衛隊法が施行され、陸海空の三つの自衛隊が誕生したのは翌年である。李承晩は自衛隊ができる前に竹島を占拠したと言える。



大放言 (新潮新書)

大放言 (新潮新書)

  • 作者: 百田 尚樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/08/12
  • メディア: 新書



タグ:百田尚樹
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『誰にも死ぬという任務がある』 [☆☆]

・教育は、まだ体験しないできごとに対して「備える」ことを目的とする。跳び箱がそうだ。私たちは、ああいう障害物を飛び越えるという事態を体験することはまずない。

・人間が自分を教育するのに必要なものは、制度ではなく一人だけの毎日の闘いだ。

・自分を伸ばす方法は、ほとんど外界に関係なく、抜け駆けして自分で教育材料を見つけることだ。

・戦後教育は実にひ弱な教育をしてきた。その第一が平等や公平を信じさせたことだ。努力すれば必ず報われる。希望さえ棄てなければ、必ず成功するというような、本当の大人なら信じないようなことを、子供たちに教えてきて平気だった。

・何も詳しい事情を分からずに、他人が同情することも失礼に当たるだろう。

・最近の日本人は、幸福で当たり前、ということになっている。しかし戦前の私の子供時代、現世は「不幸が普通」だった。

・弱者に優しい新聞記者は、どんな計画性も持たなかった人にも、安心して住める家を持たせるのが政治の義務だという。

外国の新聞は日本の新聞が書かないような面白い、そして時には教訓的な記事を載せてくれることがある。

・人間嘘つきは困るのだが、正しさを立証しようとして固くなるのも困るのである。

・実は人間は「誓ってはいけない」と聖書は有名な「マタイによる福音書」の五章で記しているのである。「あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは「然り、然り」「否、否」と言いなさい」

・しかし今は違う。すべての人の前途には希望があって当然で、素質や生まれによって差が生じることも望ましくないこととされる。

・畑仕事をすれば間引きの大切さがわかる。

・畑仕事を知らない人は、抜いてしまうのはかわいそうだから、そのままにしておきました、などと言う。しかし、うろ抜きをしなかったら、あらゆる豆も菜っ葉も育たない。

・六十八億を超える地球上の人間すべてが、一斉に百歳を超えるような長寿を得ることになると、そこにどんな形の新たな地獄が待ち受けているか、私には想像ができない。

・精神を病んだ人には、共通した一つの特徴がある。それは一人前の大人とは思えないほど利己的になる、という症状だ。

・人間はすべての人がいつか「これが最期の桜」を見ることになるのである。

・そしてその結果を病院の責任にしたり、すぐ法的な裁判に持ち込まないような社会風土をつくるより仕方がないのである。

・馬鹿は年をとっても相変わらず馬鹿で、年寄りの馬鹿は若者の馬鹿よりはるかに退屈だ。

・寄る年波に負けまいとして、ぞっとするような軽薄な態度をとる老人と、過去の時代に深く根を下ろしていて、自分を残して進んでいった世間に腹を立てている老人。

・結局残る相棒は自分だけである。私は、自分自身を相手にすることに最も永続的な満足を感じてきたことを、特に幸せだったと思う。

・私の実感では、料理ほど、人間の全神経を使う(精神を鍛える)ものはないのである。自分の好みのものを食べたいという欲求。材料を買いに行くことで世間に触れ物価を常に知っているという状態。作ったら人に食べてもらうという与える姿勢。

・偉大な智恵を思いついたのだ。それは一日に必ず一個、何かものを捨てれば、一年で三百六十五個の不要なものが片づく、ということだった。

・体力、知力において、年相応の若さを保っている人は、その存在が目立たないものだ、ということを知った。

・人間はグループの中で、普通の速度と自然な姿勢で歩いている人のことは、ほとんど注意を払わない。歩きが遅かったり、車椅子だったりする人がいつも気になる存在になるのである。意識の働きも同じだ。ごく普通にグループに混ざって行動できる人のことは、誰もあまり気にしない。

・人は個々人の弱点から老化する。私とほぼ同じ年でボケてしまった女性は、お財布の中身、つまりお金の価値と、出歩くのに必要な金額とを連動して考えられなくなっている。

・食べなくなった時が生命の尽き時。

・しかし現実に軍隊生活を体験した人に聞くと、食欲は衰えないけれど、性欲は馴れない集団生活の中では、いち早くなくなってしまうものだというのである。

・食べろと言われること自体が実に辛い、と病人が言うようになったら、それはもう自らが生を拒否している状態である。生命が自然に尽きていい時なの、解釈してもいいだろう。



誰にも死ぬという任務がある (徳間文庫)

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タグ:曽野綾子
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『芸人前夜』 [☆☆]

・この世には二種類の馬鹿がいる。勉強のできない馬鹿と、勉強をしすぎた馬鹿だ。

・僕は自然と「親友」を湯川から武智に乗り換えた。そのことは、僕が人間関係ネットワークを求めていなかったことを示すひとつの材料になる。

・僕はただの一度も、ピン芸人としてやってみたいなと思ったことはなかった。あえて言うなら、自分自身に重大な欠落を感じていたのかもしれない。僕は不完全な個体である。がゆえに、それを補う存在が不可欠である、と。

・プロというのは、なろうと思ってなれるものでもなくて、なれと言われてなるものだと思いますね。

・がんばって慶応入ってもダメなんだぞ。もうスペックの問題じゃなくてデザインの問題だよ。買い手がつかないのは。

・どうして、年相応の格好をしていない人間には悲壮感が漂うのだろう。それは、人類があらがうことのできない怪物「時の流れ」に反逆を試みるドン・キホーテのような哀愁なのか。

・「人は欲しがるものを欲しがる」ということです。売れ筋商品とかいう札を貼るのもそういう効果を期待しているのです。

・反応では遅い。反射だ。反射神経で事を為せ。

・エントリーしたのは全体の10パーセントほどで、残り90パーセントはいわば「観客」の立場として授業に参加しようとしているのだった。

・お前らのネタはまだ大喜利の羅列でしかない。会話で膨らむネタではない。

・怒らせてみればいいんじゃないの? 人間はさ、怒られるくらいが素敵なんだってば。

・何かを作る時に「こうすべき」が先にきたものにはパワーがない。順番からすれば「こうしたい」というものが先であり、そのあとに「こうすべき」があるべきなのだ。

・こうすべき、とはつまりセオリーでありマーケティングだ。ということはつまり「すでに世にある」ものである。

・「なんでそれやんの」に明確な理由のないことこそ強い。どうしてそれがしたいのか、に説明ができないというすなわち「衝動」。衝動のない作品にはパワーがない。

・僕らは何に弱いって、権力と雰囲気に弱い。



芸人前夜 (ヨシモトブックス)

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タグ:中田敦彦
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