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『自爆する若者たち 人口学が警告する驚愕の未来』 [☆☆☆]

・「ユース・バルジ」を強いて訳せば「過剰なまでに多い若者世代」とでもなるだろうか。

・高度経済成長の原動力となったパワーの源は何だったか。端的に言うなら、「居場所探し」であろう。相続権を持たない次男坊、三男坊らは、自らの居場所を自らの力で見つけなくてはならなかったのだ。

・暴力を引き起こすのは貧困でもなければ、宗教や民族・種族間の反目でもない。人口爆発によって生じる若者たちの、つまりユーズ・バルジ世代の「ポスト寄越せ」運動、それに国家が対処しきれなくなったとき、テロとなり、ジェノサイドとなり、内戦となって現れるのだ。

・先進国が必要とするのは優秀な人材であって、生き延びるために働き口を求めて押し寄せる「難民」ではない。

・ユース・バルジを育ててきた国は、それにより強大な軍備人口を擁している。そこでは40~44歳の男性1000人につき、3000人以上の0~4歳の男の子が生まれ育っている。一方、0~4歳の少年が同800人以下の場合は「軍備人口の降伏状態」にあるとされ、800から1400人ならば「軍備人口の中立状態」にある。

・第三世界の第2子から第4子までの子供はそこそこ栄養もよく教育も受けている。が、国外への移住がかなわない場合、彼らは故国の不安定要因となる。野心に見合うだけの社会的地位が用意されないからだ。そのような国は100以上に上る。

・戦略家から見れば、「女子」は当人の軍事的な働きよりも、やがて何人もの戦士の産みの親となりうるという意味で脅威であり、男の戦士1人が1組の母子を相手に戦っておいたほうが戦闘上有利であるとの計算があるのである。

・戦略家はまた、第一世界の男子がいずれも唯一の息子かまったくの一人っ子であり、そのため生き延びられるだろうかとの不安が先に立って軍事的動員に応じきれていない面があるとして、その点では低開発国のほうが有利であると見る。

・第三世界の国々は、次男ないし四男のような、故国で必要とされる場をどこにも持たない若者からなる大軍団を戦火のなかに送り出すことができ、それは彼らの眼には英雄になるまたとないチャンスと映る。

・貧困や飢えからテロリストが生まれるのではない。パンはせがめばもらえる。殺人を犯すのはステータスと権力に目がくらんでのことだ。

・2050年以降、西側諸国だけでなく世界の大部分の国は、高齢者の面倒を見る若い労働者をどう調達するかの問題をかかえることになる。

・歴史を上手に掴まえれば失敗することはほとんどない。「ようやく」出番のまわってきた復讐に役立つような事柄をそこから引いてくれば、大部数が見こめる。かつて1万人にしか関わりのなかったことが、今は10億人を憎しみで満たすことができる。

・労働者階級に大いに指導力を発揮する前衛部隊にはなっても、決してその階級の一員にはなるまいと心に決めていた。

・タリバンによって強引に推し進められた、女性に対する専門教育および労働の禁止にしても、女性を将来の勝利に貢献させるための産む機械に仕立てることが戦士にとって優先事項だからなのだが、周囲からの糾弾の声が問題にしているのは、あくまでアンチフェミニズムの行き過ぎというものだ。

・その国自体はユース・バルジを抱えていないのだが、戦闘状態にある少数民族とか国外の敵がちょうどユーズ・バルジになっている場合である。

・時折、お手上げ状態だったものが、ふと、うまく整理のつくことがある。目の前のとは別の、同じく解決できないと見なされている同時期の謎を、併せて考察の対象にしてみるときだ。とりわけしがいのあるのが、各々の専門家が互いにその問題や研究成果を交換しないときである。

・経済活動のベースとなるのは、資本でも市場でもない。所有権である。

・所有権に基礎を置く社会は、数で勝る民族を凌駕することも可能だろう。なぜなら、所有権は金を生み出すために抵当権を設定したり、金を借りるために信用貸しで担保に入れたりできるからである。

・所有権のない社会は金を、つまり利子の負担がかかる負債をもたず、だからこそいつまでも取り立てていうほどの成長がないのである。

・国の純然たる占有権原――王室の宝玉、王宮、オペラハウス、塵芥処理施設、学校などを始めとするあらゆる国家の占有物――がたくさんあればあるほど、担保に入れられるものは減り、そのために金を生み出す機会も減ることになる。

・金は利息を付けることで生み出されるものなので、債務者による需要を発生させる

・宗教がさらなる暴力を引き起こす可能性をもつようになるには、それ以前に、何ものかのために人を殺すのをいとわなかったり自分が死んでもいいと思ったりする人間がまず存在し、その上で、ほかにこれといった選択肢がなかったからという状況がなくてはならないだろう。

韓国の強力な経済と、改良を重ねていく北朝鮮の大量殺戮兵器、その双方を備えた7000万の統一国家の可能性を夢見ることが抗いがたいものであることは明らかだ。そして、そうなった暁には朝鮮はもはやアメリカを必要としない。核に関しては中国と肩を並べ、昔からのにっくき隣国日本を抜き去って、はるか先を行く。

・ヨーロッパはアメリカより50万多い200万の軍隊を有しているが、実際に動員可能なのはそのうちのほんの「一部」だ。師団が遠方に速やかに移動するために必要な大型輸送機は、アメリカの250機に対しヨーロッパは11機である。

・イスラエルとの和平が実現したり、あるいはイスラエルの殲滅が現実のものとなったりしたら、己のポストを求めて戦う若いパレスチナ人は、互いに抹殺しあうだけになってしまうかもしれない。

・世界の金の約70パーセントが依然として土地所有権で担保保証されて生み出され、その一方で発展途上国は自国の土地のせいぜい10パーセントぐらいしかそういう所有権として使えてないのであれば、困窮はもとより収入における極端な違いが出るのは当然である。

・外から大量に来てほしいと世界に向けて発信しておきながら、国境で聞かれる生の声は「おまえらじゃない!」というものだ。

・これまでにジェノサイドに適用できる国際刑法は数多く生まれているものの、その執行後はジェノサイドで得をした者も再び人権に護られることとなる。



自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来 (新潮選書)

自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来 (新潮選書)

  • 作者: グナル ハインゾーン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/12
  • メディア: 単行本



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『騙されやすい日本人 覆い隠されている危機の構造』 [☆☆☆]

・よく日本人を評して用いられる「ナイーブ(naive 物事の本質がわかっておらず、無邪気でいる)」には、「可哀相なことに」という憐憫の情が込められている感じがするのに対し、この「ガリブル(gullible)」ははっきりと蔑み、嘲っている。

・情報を提供しようとする者には、必ず何らかの意図や思惑がある。「騙す」「煽動する」「錯覚させる」等々、さまざまな手段を弄して接近してくるのである。

・永田町の政治記者が政治運営や政界事情の実態を知っていながら書かないことが、結果として永田町と国民との間にカベを作ってきた。

・番記者は、大派閥ほど大勢のしかも優秀と目される記者が配置され、小派閥には少なくなる。その結果、「大派閥の実力者は、致命的ともいえる弱点でもジャーナリズムでは叩かれず、小派閥の政治家は些細なことでも叩かれる」という傾向が生まれる。

・世界から軽蔑されるような政治家でも、堂々と通用し永らえることができる不思議さ。その理由はもっぱら、日本のマスメディアのお陰にほかならない。日本のマスメディアもまた、国際性を欠いて内向き一辺倒といえるであろう。

・永田町を紹介することだけしかできない「政治記者」「政治評論家」「政界コメンテーター」らによる日本の政治ジャーナリズムが、世界には通用しない「日本の常識」の中で、日本の政治家や国民と向かい合っているのである。

・警官の悪口と消防の美談さえ書いていれば新聞は売れる。

・日本だけが、日々全世界にくりひろげられている仮借ない情報戦争において、「攻撃力」を持つ意思と能力に欠ける唯一の国である、という現実についての認識を、日本自身が欠いている。

・数多くある国家機関のうち、「国益は何か」を、絶えず一番厳しく突き詰めていくのが情報機関であり、国益というものを抜きにして情報機関の存在はあり得ないわけである。

・「起こってみないと(ことの重大性に)気が付かない」という、日本の危機のお定まりのパターンが見られる。

・通信のデジタル化とインターネットの爆発的な普及を内容とする情報革命が、いま世界的に物凄いうねりとなって急速に進んでいる。この流れを速く掴んでモノにした国が21世紀をハッピーに過ごすことができ、立ち遅れた国の国民はアンハッピーな生活を余儀なくされることは、産業革命を例に引くまでもなく明々白々である。

・冷戦後は国際関係の基礎条件が一転した。ひと皮剥けば、ドロドロの無秩序がそこにある。突如、乱暴を働いた者が軟弱な者に勝つ。意地の悪い者がおめでたい甘い者に勝つ。「善い悪い」の問題ではないのである。

・敗因の追求・失敗の総括をおろそかにするとどうなるか。その結果は、「同じ過ちを繰り返す」「向上がない」ことになる。

・発生する事態や事故・事件を「危機管理」の視点から見る時、反省・教訓を引き出すに当たってまず問われるべきことは何か。それは「二度と起こさないためにはどうしたらよいか」「再びあってはならないことは何か」ということである。

・兵庫県や神戸というところは、反戦的な気運、一国平和主義的なイデオロギー色が日本の他の地域に比べて強いとされているところであった。だから、自衛隊の災害派遣など自衛隊と関わりを持つことには強い抵抗感があった。阪神大震災の折にもその実例がいくつか報道されるところともなった。

・「起きてほしくないことは起きない」。コグニティブ・ディソナンス(cognitive dissonance)、すなわち、自分たちにとって都合の悪い事実には気が付かないふりをする、という日本にひろくみられる傾向が、この地には特に強く存在する護憲反安保反自衛隊のイデオロギーと結びついて、「地震は起きない」との意識が定着したのである。

・危機に対して、米国などでは起こり得るあらゆるケースを想定して対応の方策を講じる。日本では、起きてほしくないことは起こらない、起きる筈がない、果ては、起きてはならない、とまでしてしまう。

・日本の場合には、新聞やテレビが一斉に同じことを大問題だと捉えて長期にわたって大騒ぎをしても、それが本当の問題点ではないことを示している。

・新幹線は予算の半分でできる、1兆5千億円かけて出来た関西国際空港は似非漁業権やダンプカーの利権などで暴力団にもたっぷり吸い上げられ3分の1でもできた、ということも、関係者の間では常識のように語られていることである。

・組織犯罪の本質は、世界各国どこでも共通している。組織犯罪とは、暴力の威嚇力を背景に、カネになるものなら何にでも手を出す職業的犯罪者集団である。彼らは、活力と創造性に満ちた起業家であり、また社会や経済の仕組みの変化を敏感に察知してカネに変える錬金術師である。

・テレビの影響力について、「街頭インタヴュー」が、テレビ視聴者に対して、「これが世論の大勢なのだなあ」という認知をさせるのに大きな影響を与える、という実験結果もある。

・日本では記者はジャーナリストである前に会社員なのである。だから、大事件が発生すると「分析」はもっぱら「専門家」なる学者、弁護士、作家などを登場させ、取り繕うことが常態となっている。

・「分析」という作業において、まず必要とされることは、主観的な視点と表現を避けることである。

・日本人が英語で書く論文や新聞の解説などにも、英語の「I think」や「I suppose」に当たる「私」を主語とした主観的な表現がよく使われるが、実はこのような表現は、欧米の「分析」では極力排除される。そして例えば「It is said」とか「It should be mentioned」というよな客観性の強い表現に置き換えさせられる。

・公正取引委員会・証券取引等監視委員会・警察・検察などのいずれかが動き出さない限り中央紙は取り上げようとしない。官が動き出すと見るや一斉に堰を切ったように書きまくり始める。当該案件をどこの記者クラブが扱うかがはっきりしない限り中央紙は動き出さない。

・親が子を叱りつける時、子が親に「なぜいけないのか」と問い返すと、多くの親は返答に窮した。親は小さい時から「かくあるべきもの」とされたことをそのまま励行し、なぜそうしなければならないかを議論したことはなかった。社会全体がそうだったからだ。そのうちに多くの家庭では親が子を叱れなくなってしまった。

・国家権力を支配している官僚に対するコンプレックスを解消するための特効薬が、「世界平和」「地球人」など国家権力より遥かに高い次元に位置する観念に絶対的な価値を見出し、その高い地位に身を置いて、そこから国家権力を見下し、叩くことである。国家のレベルに存在する日本という国を悪しざまに上から踏みつけることである。

・世の中が富んできて、中産階級が増えてきた国々では、かつてマルクス主義の旗を振っていた人びとが唱えていた革命の担い手であるべき労働者・農民・学生が皆金持ちになってしまってその資格を失ってしまった。このような状況の下にあって反権力の側に立つリーダーが考えることは、この世の中に強い不安・不満を抱いている人々や精神障害者や犯罪者などに着目し、それらの者を教唆煽動して権力転覆へのエネルギーを引き出し、テロリズムなど過激な反権力行動に走らせることである。

・本音と建前があるところには、その背後に必ず「責任逃れ」と「軟弱な精神」が見出される。責任を全うする場合に伴う困難と、責任を放棄した場合の気楽さとの落差の前での選択から、本音と建前が生まれる。

・「人権」に敏感な人々も、「権力」という観念に関わりのない人権問題には、いささかの関心も示そうとはしない。

・シェイク・ダウン(shake down カネが枝に実っている木を揺さぶってカネを落とす、という米国の悪徳弁護士および彼らと結託している市民運動家らの用語)

・日本国民は、目に見える危機であっても新聞が一斉に大騒ぎをして取り上げ始めるまでは、それが危機であることすら感じないところまできている。逆に、実際にはそれが本当の危機ではないのに、「新聞が大騒ぎする危機」が「危機」として受け止められている場合も多い。

・一方、日本国民は、消費税アップやゴミ焼却炉・原子力発電所・軍事基地の設置など、自分自身のごく身近な「目先の利害」に関してだけは、異常なまでに強く反応して、にわかに当事者となって熱心に対応する。ただ、自分自身の目先に利害にすこぶる敏感に反応するとはいっても、自らのアタマで深く問題の背景なり本質を確かめようと努力することをしない。いたずらにマスメディアの論調に振り回され、多くの場合、政府批判に終始するというのが、ほぼおきまりのパターンである。

・「気付いていない」「想定していない」ことが、攻撃(奇襲)を呼び込む。「気付いていない」、したがって「備えがない」ところに「奇襲」することが、確実に成功をもたらすことは、軍事上の常識である。

・「目に見える危機」にさえ鈍感な日本国民は、まして、財政危機や「情報戦争」など「目に見えない危機」に対しては、全くと言ってよいほど無力である。

・日本国民は、「世界はもともと混沌・無秩序で、自分が生き残るためには手段を選ばないところ」「世の中は、もともと警戒心も持たず無防備でいると危ないところ」というごく簡単な現実を、すっかり忘れさせられてしまっている。

・報告相手が不在の場合は、その下ではなく、上位に報告する原則は、経験的に得ていた危機管理上の知恵の一つであった。

・首が離れ腸が出ている胴体の側に「七生報国」と染め抜かれた鉢巻きを巻いた首が二つ並んでいた。片目がカッと見開いていた三島由紀夫氏の目を、本当はしてはいけないことだが、随行の宇田川信一警視がそっと閉じさせた。

・危機に敏感であることは、自らの生命を惜しむこと、自らの生命を貴重なものとして大切にすることに由来する精神活動であると思う。自らの生命を無為に失うことのないように常日頃心懸けることによって、危機に対して敏感になる、と考えるのです。

・パン一つで春をひさいでいるところから「パンパン」と称されるようになった。

・必勝の基本は、「自分は最高の手を打ち、相手に最悪の手を打たせる」「さすれば、勝ちはおのずから転がり込んでくる」ということである。

・囲碁を例にとると、初心者の「上達法」は、二つのことを守ることである。一つは、「待ったをしないこと」である。石を盤の上に置いたら絶対に剥がしてはならない。もう一つは、「打つ場所が決まるまでは、石を持ってはならないこと」である。着点を決め、石をつまんだ直後に迷いが出た時は、つまんだ石を碁笥に放り込め。そして、再び考えよ、ということである。

・「悲観論者」には、視野が狭く、分析が半端で、直観力が鈍い人が多い。「楽観論者」はその逆で、視野が広く、分析も確かで、直観力が優れている人が見出される。危機を乗り越える手立てが見えるから楽観的になり得るのである。はじめから呑気な性格で楽観的なのは、もちろん論外である。

・高い力量を具えている者が低い者を見た場合には、力量の低い者がどの程度のことを考えているのかわかる。だが、反対に力量の低い者が力量の高い者を見た場合には、何をどのように考えているかさっぱり見当がつかないばかりか、その相手が自分より優れていることがわからず、自分より低位にあると考えることさえある。つまり「出来の悪い人間は、出来の良い人間のことが理解できない」。

・情報革命下における急激な科学技術の進歩と普及は、それに適応して新しい時代をリードする層と、旧いシステムを是としていて新しい動きの実態が見えないまま陳腐化し果てて行く層との二極化を進めている。

・料亭では依然として、女将も仲居も来客の階級序列の高さを尊び、「偉い人」に失礼のないように心掛ける。店の構えが立派で「偉い人」が来ることをもって、格式が高いと思っている。

・旧体制の人々が異口同音に言うことは「いつになったら景気は良くなるんでしょうね」の一言のみ。この旧体制の社会層は、自らが世の中の変化にとり残された層であることに気付いていない。いつまで待っていても、世の中全体がどの企業も揃って良くなることはもはやありえないのである。

・日銀が発表する景気動向指数DI(「良い」と判断する人びとの比率から「悪い」と判断する人びとの比率を差し引いた指数)が悪い数値を示すのも、対象が旧体制に属する企業か、旧体制によりかかってサバイブしている企業が主たる対象であることも多分に影響していよう。

・大企業における「取締役」といった肩書きも、実は「社内叙勲」以外の何ものでもなかった。それが経済の低迷や株主代表訴訟提起の容易化などにより、果たすべき「責任」を迫られるようになってきて、右往左往している。

・本来は教育すべき立場の人々が時代の急速な変化に遅れをとり、教育されるべき者に対する「指導力の空洞化」現象が生まれた。



騙されやすい日本人―覆い隠されている危機の構造

騙されやすい日本人―覆い隠されている危機の構造

  • 作者: 宮脇 磊介
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/09
  • メディア: 単行本



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『生き残る判断 生き残れない行動』 [☆☆☆]

・身の毛がよだつほどの爆発も、結局は、「ハリファックスを吹き飛ばして二十世紀に引き入れ」、よりよい状態に向かう多くの変化をむりやり引き起こしたのである。

・遺族の多くとは違って、生存者たちはたいてい他人との交際を避けて暮らしていた。とても運がよかったと感じて──あるいはうしろめたく思うか、傷ついて──いたので、あまり騒ぎ立てたくなかったのだ。

・わたしは大災害を未然に防ぐのはとうてい無理だと承知していたので、災害に備え、被害を最小限に食い止める努力をするほうが理にかなっていると思った。

・自分たちしかいないことに気づくのは、何もかもが正常でなくなったときだ。その上、災害が大きければ大きいほど、自分たちだけでいる時間が長くなる。

・緊急事態計画は、一般市民ではなく、職員の非常時の必要性を満たすようになっていたのである。

・進化には二種類ある。遺伝的なものと文化的なものである。どちらも人間の行動を方向づけるが、文化的な進化の速度のほうがずっと速くなっている。

・火災時における実際の人間の行動は、「パニック」になるという筋書きとは、いくぶん異なっている。一様に見られるのは、のろい反応である。人々は火事の間、よく無関心な状態となり、知らないふりをしたり、なかなか反応しなかったりした。

・恐怖ほど効果的に脳に焼きつくものはほかにない。生死にかかわる出来事のこまごまとしたことが、意識のなかの傷跡のように、死ぬまでずっと記憶にとどまる。そして体を衰弱させる原因になることがある。

・「カトリーナ」の犠牲者を分析したところ、人口の割合から考えると、彼らは貧しいわけでも黒人でもなかった。避難時のあらゆる行動とその背景にある要因に注目すると、収入が要因になっているのは、わずか5~10パーセントにすぎない。人々がとった行動の違いの本当の要因になっているのは、彼らの信念である。

・ハリケーン「カトリーナ」の犠牲者たちは、人口の割合からいって、貧しい人たちではなく高齢者だったことが後に判明した。ハリケーン「カミール」が襲来したとき、彼らは中年だった。経験が必ずしも良い教師になるわけではないのだ。

・非難しなかった人たちの半数は、本当にそうしたいと思えば立ち去る手段を見つけることができた。つまり、重要なのは移動手段よりも動機づけだったのだ。

・テロによる最大の損失は、攻撃そのものよりもむしろ攻撃に対する大衆の反応にあるのかもしれない。

・ハリケーンは、毎年同じ場所で同じ時期に発生している。にもかかわらずわたしたちは毎年その破壊力にショックを受けているのだ。

・1999年のハリケーン「フロイド」で亡くなった52人のうち、70パーセントが溺死だった。そしてそのほとんどが、洪水で動けなくなった車の中で溺れた。同じことはハリケーンのときに繰り返し起こっている。人々は水の中で車を走らせることができると過信している。

・感情や感覚は理性の邪魔になるものではなく、それらは統合されていた。理性は、われわれが考え、そう願っているほど純粋なものではないかもしれない。せいぜい、感情によってしかるべき方向が指し示され、意思決定をする適切な場所に連れていかれ、その場でわれわれが論理という道具をうまく利用する程度にすぎないのかもしれない。

・警告が単に「何を」すべきかではなく、「なぜ」そうすべきなのかを説明している例がめったにないのは驚くべきことである。

・効果的な警報システムの基本的な構成要素は信頼である。しかし現在、政府と市民双方の間に信頼関係などないに等しい。政府は市民を信頼していないし、逆もまたしかりである。

・エピソードはつねに統計にまさる。だから富くじの広告は、思いがけず大金を得た喜びにひたっている個人の当選者を大々的に取り上げる。当選確率など色あせて見える。

・人間の脳のイメージング研究によると、賭博師や麻薬常用者の脳では「腹側線条体」と呼ばれる部分がひどく活発に動いているらしい。この領域では、「金を勝ち取れるだろうと期待するだけで、「側座核」と呼ばれるものが活性化する。だから、カジノでは勝つことを期待させるだけでいいのだ──たとえ実際は勝った経験など一度もなくても。

・「島前部」は、悪いこと──たとえば災害など──が起こるリスクを予測すると、活動が活発になる。この領域も狼狽するようなイメージを予想することで活性化を示すのだ。だから保険の広告が恐ろしいイメージを通して「島前部」を活性化させ、危険を回避しようとする行動(すなわち保険に入ること)をあおるのも理にかなっているのである。

・世界の国々では、発展途上国においてさえも、役人が好むのはシンプルな方法よりも複雑な仕かけである。

・毎年、世界中でサメに殺される人間は平均6人である。人間は2600万から7300万匹のサメを殺している。これは人間が負けている戦いではないのだ。

ニュースになっていたら、そのことについては心配しないように、とわたしは人々に言っている。「ニュース」のほかならぬ定義は、「ほとんど起こらないこと」である。心配しはじめるべきときは、それがニュースにならなくなったとき──車の衝突事故、家庭内暴力など──頻繁に起こるのでもはやニュースにならなくなったときである。

・大人も子供の報道を見る時間が長ければ長いほど、大きなストレスを体験する。概して、テレビを見ると心配しなくていいことも心配になるのだ。

・文字を読んでいるときは、脳はメディアの誇大報道をよりうまく濾過してくれる。言葉は映像ほど感情を刺激しないから、テレビを見るよりも新聞を読むほうがずっと健全なことなのである。

・「潜在意識がわたしの命を救ってくれたのです」 彼はリボルバーが手の中で何度もはねるのを感じていた。そして顕在意識はこう言っていた。 「いったい誰がわたしの銃を撃っているんだ?」

・彼は、心拍数が毎分105回から145回のあいだに、人は最高の動きをすることを発見した(休んでいるときの心拍数はふつう約75回である)。この範囲だと、人々はすばやく反応し、視覚も良好で、複雑な運動技能(たとえば車の運転)もうまく使いこなす傾向がある。だが約145回を超すと、機能が低下しはじめる。

・警官も一つのことだけに固執するのを避けるために何度も地平線を左右に見渡すように訓練されることがある。

・ストレス反応の存在を知るだけで、人々の行動が改善されることもある。だがほとんどの一般市民は、視野狭窄を予想することなど知らない。

・ひるまない訓練をするのではなく、ひるむことを前提にして訓練するほうが理にかなっている。

・日頃オフィスでリーダーとなっている人、あるいは無能な人が、危機の際に同じであるとはかぎらないのだ。

・特殊部隊の兵士が「ニューロペプチドY」と呼ばれるものをかなり多く作り出していることがわかった。ニューロペプチドYは、とりわけ、ストレス下において任務に集中できるよう助ける働きがある化合物だ。

・心的外傷後ストレス障害を持っている復員軍人の海馬は、平均して6.66ミリリットルである。

・災害現場でも文明社会は維持しており、人々は可能なときはいつも集団で動き、通常よりもずっと礼儀正しい。お互いに助け合い、ヒエラルキーを維持する。

・人々は生きているときと同じように死んでいく。地域社会で友だちや愛する人たちや同僚と一緒に。

・単独で生きるほうがこの世は楽だ。だからはるかに多くの生物が群れをなすよりも単独で地球上を移動しているのかもしれない。

・他人を助けることでどこか気持ちが落ち着くようなところがあったという可能性もある。異常で無秩序な世界に正常で秩序立った感じを与えたのだ。

・人間に利己的な集団を形成する必要があるほどの捕食者が存在するかどうか、確実なところを知るのはむずかしい。なにしろ、人間の最大の捕食者は、つねにほかの人間だったのだ。

・人は水のごとく建物から出ていくだろう、と技術者は長年想定していた。空間を埋め、階段を駆け降りて安全なところへ人間の川のごとく流れ出していくだろう、と。建物はこの想定に従って建てられた。だが問題は、人が水のごとく移動するわけではないということだ。

・人口の煙はバナナ油からつくられる。安価で、霧状に吹きだされると濃い灰色の非毒性の煙に変わる。


・煙はまた圧倒的に多い死因であり、消防士が焼死体を見ることはめったにない。炎が上がる前の、くすぶっている火からの有毒な煙のせいで眠っている間に死んでしまうこともある。だからこそ電池で作動する煙探知器を備えておくことがとても重要なのである。

・強いリーダーは意思決定が速い。危機の際にはそれが必要なことなのだ。

・ヒエラルキーのほうが民主主義よりも効率がよい。

・人々は避難に努力することに誇りを抱いているようで、誤った判断で避難してもそれを時間の無駄だとは決して考えなかった。

・知れば知るほど、将棋倒しは心理学よりも物理学に関係が深いと気づくようになった。

・人間は少なくとも各々1メートル四方の空間があれば、自分の動きを制御できる。1人あたりの空間が1メートル四方より小さくなると、他人に押されても対処できなくなってしまい、小さなよろめきが増幅されることになる。

・将棋倒しで死ぬ人々は、通常は踏みつけられて死ぬわけではない。窒息死するのである。四方八方から圧力をかけられて息ができなくなるのだ。1人の人間を殺すのにたった5人が力を合わせるだけで十分なほどだ。人間はわずか30秒ほど圧迫されると意識を失い、6分ほどで脳死状態になる。倒れなくても死ぬことがあるのだ。

・パニックは3つの条件がある場合に起こり、パニックが起こるのはその場合に限られる。
第一に、人は閉じ込められている「かもしれない」と感じなければならない。確実に閉じ込められているとわかっているのとはまた別である。
パニックを起こす第二の条件は、まったくどうすることもできないと感じることである──この無力感はしばしばほかの人々との相互作用で大きくなる。
パニックの必要条件の最後は、深い孤立感である。救われる可能性があることはわかっている──だが誰も助けにこない。

・麻痺状態にある動物についてわかっているのは次のことである。心拍数が減り、体温は下がり、呼吸は遅くなり、体は痛みを感じなくなる。

・わたしがとりはじめた反応はふだんとはずいぶん違う、兵役時代に学んだのとちょっと似ているものでした。こう言ったのです。「さて、選択肢1、選択肢2がある。決めなさい。行動しなさい」と。「ああ、船が沈みかかっている」とは言わなかった。

・1人や2人にとどまらず、どのグループの人たちも動けなくなっているように思えた。意識はあったが、反応はしていなかった。

・軍事訓練を受けていたため、つねに計画を立てることを教わっていた。おそらくそれが彼の命を救ったのだろう。

・基本的には、人は自分自身のためにそうしているんです。なぜならそれを「しない」ことで生じる結果に内心向き合いたくないからです。

・彼は英雄になるために川に飛び込んだわけではなかった。臆病者にならないために飛び込んだのだ。

・英雄たちはどんな女性でもものにできる。「利他主義者も一皮むけば、快楽主義者なのだ。

・では英雄になるはずの人が途中で死んでしまったらどうなのだろう? そのときは兄弟姉妹や両親──英雄になるはずだった人の遺伝子の保持者──が悲嘆に暮れている英雄の身内であるということで恩恵をこうむるだろう。

・わたしたちが英雄的行為を賞賛するのは、自分自身が英雄を必要とするときがくるかもしれないからである。

・軍隊の訓練で人間性についてのわかりやすい原則を得ていた。それは、極度のストレス下で脳を働かせる最上の方法は、あらかじめ何度も繰り返して練習をすることである。

・八つのP、「適切な事前の計画と準備は、最悪の行動を防ぐ(Proper prior planning and preparation prevents piss-poor performance.」。

・変化をもたらす何かの一部になる機会を与えられたら、人は向上するものです。

・法的責任への恐怖が反応を遅らせる。それで命を犠牲にすることもある。

・この訴訟に対する恐怖のために、役人は生命にかかわる情報を一般の人々と共有しない。だから不確実な情報しか得られないせいで、善良な人々はお互いを助け合うことができない。

・わたしたちは真の安全のための警告と法律尊重主義の愚行とを混同しはじめる。そして防火訓練や航空会社の安全のための指示と、バスタブの中で使わないようにと警告している新しいトースターに貼られたシールをいっしょくたにしてしまうのだ。

・恐怖を感じるには二つのものが必要だ。脅威に気づくことと、その脅威に対処する力がないと意識することだ。

・データのない警告には用心していただきたい。感情ではなく、事実に頼ることが重要である。テレビのニュースは、実際のリスクを判断する手段としてはひどく不適切なものである。

・「タイム」のような雑誌が傑出している点の一つは、ある出来事についてあえて伝える前にそれを徹底的に知ることの重要性を認識している人たちが(まだ)いることである。



生き残る判断 生き残れない行動

生き残る判断 生き残れない行動

  • 作者: アマンダ・リプリー
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2009/12/17
  • メディア: 単行本



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