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『座右の古典 賢者の言葉に人生が変わる』 [☆☆]

・考えたことや見聞きしたことを書き留めるのは、商人が棚卸しをするのと同じだ。それをしないと、自分の店に何が置かれて何が足りないのか、さっぱりわからない。

・自分の身を捧げて役に立てる場がどこにもない、というのは不幸である。周囲へ貢献したときに、人は幸福になれるのである。

・「遊び」とは、決められた時間と空間の中で行われる自発的な行為である。「遊び」には自分で決めた規則がある。自らが決定したのだから、その規則は破ってはならず、絶対的な縛りを遊びに与えてくる。これがあって初めて「遊び」は成立するのである。

・「相手の関心に関心を持つ」とは「相手に関心を持つ」のとはまったく異なる。

・大衆は、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見いだしているのである。

・考えの貧しさは、自由に使えるお金の乏しさに比例する。

・精密な事実の探求に基づいた「学識」ではなく、自分を揺り動かしてくれる「体験」を求めたのである。

・自由と我侭の界は、他人の妨を為すと為さざるとの間にあり。

・自分が使える自由はその人が負える責任に比例する。他人に迷惑をかけないという責任が取れないのであれば、自由は行使できない。それが西洋社会で長い時代を経て培われた契約のルールである。

・読書とは、自分が何となく薄々と感じていたことを定着させる役目も果たす。

・フランス語のブリコラージュ(日曜大工)には、周囲にあるもので椅子や犬小屋を作ってしまうという意味がある。あり合わせの材料で器用に目的を達するのである。

・情報は「世界が秩序立っているかどうか」を記述する。すなわち、情報があるとは秩序立った状態で、情報がないとは無秩序の状態を意味する。物理学の用語のエントロピー(乱雑さ)を使えば、「情報があるとは、マイナスのエントロピーを持つ」とも言い換えられる。

・すぐに薬や医師に頼るのではなく、自分で判断して経過を見ることが大切なのである。風邪を薬で無理に治すと、本来体が持つ自然治癒力を損ない、大きな病気にかかりやすくなる。

・趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみつくられる。

・誰もしない研究をしてオンリーワンになれば、そのまま競争なしでナンバーワンである。

・国家が滅亡したのは、内部の堕落と退廃からであった。戦乱期の国家経営よりも平和時の守りの方が、はるかに難しい。敵は外ではなく身内にある。

・友人の家で偶然、ハードカバーの原書を見た。古典はペーパーバックで飛ばし読みするものではない、と彼は言う。

・考えない人は、実は「家畜」と同じなのである。

・哲学は「学ぶ」ものではなく「する」ものである。

・まる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。

・著作者には二つのタイプがある。第1のタイプは、経験を積み、語るべき思想を持つ人々である。第2のタイプは、金銭を必要とし、金銭のために書く人々だ。



座右の古典 ―賢者の言葉に人生が変わる

座右の古典 ―賢者の言葉に人生が変わる

  • 作者: 鎌田 浩毅
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2010/11/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



タグ:鎌田浩毅
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