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『「上から目線」の構造』 [☆☆]

・企業の採用にあたってもコミュニケーション力が最も重視されるようになってきたが、それはコミュニケーション力の欠如がビジネスの現場で非常に深刻化していることの表れといえる。

・市場経済の発展により、モノの価値は、それがどれだけ役に立つかという使用価値によって決まるのではなく、それがいくらで売れるかという交換価値で決まるようになった。

・人間の価値も、どんな能力がありどんな人格を備えているかというよりも、周囲の人たちから気に入られるかどうか、受け入れられるかどうかによって決まる。

・見下されるのではないかといった不安が強いために、本来は役に立つアドバイスも、こちらに対して優位を誇示する材料と受け止めてしまうのだ。

・ほんとうに力があり、成熟した人間は、コンプレックスに振り回されない。ゆえに、自分の力を誇示したり、偉そうな態度をとろうという衝動が湧き上がらない。

・自分が他者に対して優越しているかのように振る舞う人たちの背後には、何としても隠すために特別な努力を要するような「劣等コンプレックス」が潜んでいるのである。

・自分をしっかり認めてくれとアピールすればよいのだが、それがしにくいのが日本の「甘え文化」と言える。自分からアピールせずに、相手がこちらのひそかな要求に応えてくれることをひたすら期待して待つ。それが日本流のやり方なのだ。だからこそ相手の出方が非常に気になる。

・自分自身に対してネガティブな感情を持つ者は他者に対してもネガティブな感情を抱きがちである。

・自尊心が高く、かつ不安定な人が、他者による否定的評価に対してとくに強い怒りや敵意を感じる。自尊心が高く、かつ安定している人は、同様の場面で怒りや敵意をほとんど感じることはなかった。

・「プライドが高いから扱いに注意しなければならない」と言われる人は、自尊心の高い人というよりも、うぬぼれの強い人なのだ。

・店員に対して横柄な態度をとる人物を見かけることがある。これがたいてい若者ではなく年輩者なのだ。駅の改札口でも、同じような光景を目撃することがしばしばある。執拗に文句を言い続ける年輩者。

・日頃、仕事でもミスばかり、上司や同僚はもとより後輩にさえ軽んじられ、家に帰っても誰からも相手にされず、どこにも居場所がない。そんな淋しい境遇の人が、お金で客という「上から目線」が許される立場を買っている。

・そんなスキーマを持っているかは、その人が他者や自分自身をどのように評するかを観察すればわかる。「彼は同期の出世頭で……」「私は出世にはまったく縁がなくて……」このようにコメントすることが多い人物は、「出世する-出世しない」のスキーマを持っている。

・「上-下」「勝ち-負け」で世の中を見るスキーマを持つ人は、絶えず他人と自分を比較する。そのようなタイプにとっては、相手と自分のどちらが上か、どちらが勝っているかが問題なのだ。

・他者の視点を取り入れるというのは、非常に重要なことだ。人間はどうしても自分の視点からしか、ものを見ることができない。そのままでは一面的にものごとを判断せざるを得ない。そこで、もっとものごとを多角的に見られるように、他者の視点を借りる必要がある。

・失敗して落ち込む人と、失敗を生かして伸びる人。その違いは、イヤなこと、思い通りにならない現実に直面したとき、感情的に反応するか認知的に反応するかにある。

・感情的に反応するタイプは、感情に溺れがちなため、現実から目を背けてしまう。ゆえに、経験から学ぶことができない。

・「あんなに頑張ったのに、どうして」などといつまでも残念がっても仕方がない。

・「どうしてこんな目に遭わないといけないの」などと嘆いても、現実は変わらない。

・「うまくいくと思ったのに」などと言っても、うまくいかなかったのだから、その事実を受け入れるしかない。

・人の気持ちにはまったく関心がなく、自分の言動が人を傷つけたり不快にさせていることにまったく気づかないほど鈍感であるにもかかわらず、人から言われたことには過敏に反応する。

・トイレで弁当を食べる大学生。一人で食事をすることそれ自体がイヤだというよりも、一人で食べているのを人から見られるのがイヤなのである。

・自分の思いを吐き出すことを自己開示という。自己開示に健康増進効果があることは、多くの実験や治療実践によって証明されている。

・日常生活で自己開示する場のない場合、カウンセラーに自己開示する。カウンセリングとは自己開示の場だと言ってよい。

・イヤな経験についての自己開示は、開示直後には健康上好ましくない影響を与えることもあるが、長期的に見ると抑圧しているよりも健康に良い。

・生後まもなく隔離して育てられたチンパンジーは、仲間と一緒に育てられたチンパンジーと違って、自分の鏡像を理解できないことがわかった。これからわかるのは、自分の鏡像を理解するためには、他者との視線のやりとりを十分に経験しておく必要があるということである。

・自己像を組み立てるのは他人である。あなたが抱いている性格的特徴について、それが自分の特徴だということは、どうしてわかるようになったのだろうか。かかわりのある周囲の人たちから突きつけられたコメントから自己像が組み立てられていく。そんな感じではないだろうか。

・人からどう見られるかによって自己像がつくられていく。そこでわかるのが、人間関係の希薄化が言われるようになるとともに、「自分がわからない」という人々が増えてきたことの理由である。人間関係が希薄化すると、他人を鏡とする機会が少なくなる。ゆえに、自分がわからなくなるのである。

・心の底から「そうしたい」「そうしなきゃ」といった思いが湧いてくるというのではなく、「友だちだったらこうすべきなんじゃないか」「向こうにとって、こうするのが一番心地よいんじゃないか」などと頭で考えつつ行動する。そのようにしてとられる行動は、いわば演じられた親しさということになる。

・人からどう見られるかを気にするというのは、あくまでも自分自身への関心だ。自己愛の視線を相手を通して自分に向けているにすぎない。相手そのものなど眼中にないのだ。人の目に自分がどう映っているかが気になるだけで、他人そのものに関心が向いているわけではない。

・日本文化には「甘えの構造」が根づいており、自分はひたすら謙遜しつつ相手が配慮し評価し良きに取り計らってくれるのを期待して待つといった姿勢をとらざるを得ない。相手がこちらの期待通りに評価してくれるかどうかにすべてがかかっている。ゆえに、人からどう見られているかに過敏にならざるを得ないのだ。

・電車の車内の広告は、やり場のない視線を受け止めるためにあると言ってもよいほどに、視線のやり場に困る乗客たちの助けになっている。あれがなかったら視線が浮遊してしまい落ちつかないという人が多いのではないか。

・電車に乗って、知らない人だと突き飛ばしてでも座席を確保しようとする人が、親しい知人に対しては、自分がどんなに疲れていても座席を譲るという滑稽な姿が見られる。

・日本では、相手が誰であっても「I」でいく英語とは対照的に、相手によって「私」「僕」「オレ」「お父さん」など複数の自称詞使い分けている。

・人柄的にとても素直なよい子なのだが、目下の視線で素直に従ったりして人とかかわるのには慣れていても、自分が「上から目線」に立って、目下の世話をしたり導いたりといったポジションがとれないのだ。

・「よい子だけがわが子」というのが父性原理とすれば、「わが子はすべてよい子」というのが母性原理だとしている。

・もし、職員や教員の能力が信頼できるものである場合、自力でエントリーシートを書こうとする優秀な学生よりも、サポーター任せの自信のない学生の方が、立派なエントリーシートを提出するという、おかしな逆転現象も起こってくるのである。

・やさしい人は、嫌われ役など引き受けない。だから、やさしい人に相談しても、「後悔しないように自分でよく考えて」と言うくらいで、何もアドバイスはしてくれない。自分のせいにされるのを覚悟で助言したりはしない。

・「そのままの君でいいんだよ」という心のケアの精神が広まることによって、何かを克服しようとするよりも、「まあ、いいか」と気にかけないようにする風潮が広まっているように思われる。「これも自分の個性だ」と開き直ってしまうのだ。



「上から目線」の構造 (日経プレミアシリーズ)

「上から目線」の構造 (日経プレミアシリーズ)

  • 作者: 榎本 博明
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2011/10/12
  • メディア: 新書



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