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『小説を読みながら考えた』 [☆☆]

・科学技術は「何かをできるようにする」ものだと一般には思われているが、科学そのものはむしろ「何ができない」ことを明確にするのである。

・それが教育界でいわれる「理科離れ」の根本であろう。自然を相手にするより、人間を相手にしているほうが、楽に儲かる。

・猫の脳に血液を送っている動脈は、内頚動脈ではない。背骨の中を走っている椎骨動脈だけである。それなら首を締めたって、なかなか死なないのは当然である。

・実験では動物を多く殺す。これはじつは二人称と三人称の違いである。飼っている動物は二人称である。自分で世話をしていると、殺せなくなる。

・一生懸命説明しようとするのはわかるが、語彙も表現もまだ不足である。肝心なことがなかなか出てこないで、余計なデテールばかりいう。

・日本の文学が面白くなくなって久しい。それは既成社会の枠内でものごとを描こうとするからであろう。暴力が社会の枠外だということは、それを書こうとすれば、必然として社会の枠を意識するしかない。

・DDT公害で鳥の卵が孵らなくなり、鳥がいなくなった。鳥の体内に蓄積したDDTのために卵の殻が薄くなり、卵がダメになってしまうのである。いつからそうなったか。それを知ることができたのは、英国にカモメの卵の殻を毎年集めて、その厚さを測っている人がいたからである。日本にそんな人はまずいないであろう。

・しかし金だけ稼いで、それを何に使うのだろうか。稼いでみたが、使い方がわからない。それが過去半世紀の日本だったのではないか。

・情報が行き届けば、世界に珍しいことはなくなる。すべてが日常化するからである。そこに非日常を提供してくれるのが、人の脳が紡ぎだす物語である。

・話は単純だが、とにかく長い。それがファンタジーの特徴である。

・正体不明が好きなのである。珍しい虫を捕まえたと喜ぶ人は多い。珍しい虫とは、ある意味で正体が知れているということである。ともかくその虫だとわかっているからである。

・古事記のスサノオノミコトの所業、その描写は火山の噴火の状況を示すのではないか。そう書かれると、あっと思う。そういう視点があるな、とウロコが落ちるのである。

・火山学者の古事記解釈を国文学者は信用するまい。恐竜の絶滅は、隕石の衝突だ。この説は古生物学者には人気がない。隕石だと、化石を掘っても答えが出ない。岩石のほうを調べなければならない。学者は自分の抱えている問題が、とんでもない方から解答されると、認めない傾向がある。

・歴史は詳細を知っているか否かで、印象がまったく違ってくる。

・あんなくだらない話を、あそこまで長く、ふつうは書けない。さすがにプロだ。『海辺のカフカ』をそう評するなら、それも一つの批評であろう。

・イージス艦を出すの、出さないの、といっている。戦争は本気でするもので、付き合いでするものではない。

・若い人が軽いものを好むのは、いわゆる真面目の裏がなんとなく見えてしまうからじゃないのか。大人どもは、あんな、嘘ばかりつきやがって。それならはじめから嘘だとわかった話を、面白く読まされたほうがはるかにマシじゃないか。

・偉い人はお金を遣って、もっともらしく見えることしなければいけない。四国に三つ橋をかければ、大勢の人が潤う。それをムダだと思うような性格なら、この世の中では出世しないとあきらめたほうがいい。

・兵器は時代とともにどんどん間接化する。被害者を見ないで済めば、戦争をしやすいからである。

・自分の生活を考えてみればいい。いかに多くのことが「起こらないように」、われわれは日常の努力を重ねているか。車を運転すれば、最大の関心はいかに「事故を起こさないか」である。それを一切無視して、制限速度なしで突っ走ればさぞかし気持ち良いだろう。多くの人はそう思う。その気持ちが戦争を準備する。

・いちばんよい嘘は、詳細はすべて事実だが、肝心なところが嘘だというものである。

・島では維持できる虫の種数が少なくなる。種類数は島の面積の乗数に比例するのである。面積が二倍になれば、種数は四倍になる。

・進化論という大枠ができると、島ごとに生きものが違うということの「意味」が理解できる。ダーウィンの場合、事実の「意味」の理解と、大枠の成立が同時だったのである。これが真の発見である。すでに大枠がわかっているときの事実の発見は、発見ではあるが、大きな発見ではない。現在の科学では、ほとんどの業績が大枠のなかである。だからある意味で面白くない。おかげで研究はただの「仕事」になった。

・自然現象を「そういうもの」だと思うと、科学は生じない。春夏秋冬がなぜ生じるか、「そういうもの」だと思っていれば、考えないで済む。若者が自然現象を「そういうものだ」と思う世界が、科学離れの世界である。

・朝の挨拶になぜ「お早うございます」というのか、そんなことを考えても意味はない。「そういうもの」だと思ったほうがいいのである。つまり人間世界とは、むしろ「そういうもの」であり、そう思ったほうが適応が早い。だから理科系の人はしばしば社会的適応がよくない。いちいち「なぜか」にこだわるからであろう。

・分業は社会的に効率が良いが、その仕事が不必要になったとき、なんとも困る。大きな組織になるほど、分解できない。

・銅鉄主義という古い表現があった。外国の研究者が鉄で調べたことを、日本の研究者が銅で調べる。どこが新しいかと訊かれたら、まだ誰も銅では調べてませんと答えればいい。

・報道の内容は「報道する人間の都合」で決まる。事実がどうか、そんなことは次に位置する問題である。まずは報道する側の都合。

・作家に文学とはなんだと問いかけても、同じであろう。「そんなことを考える暇があったら、俺は小説を書く」。そういうはずである。その小説が書けなくなった老大家なら、小説はなんだと、論じるかもしれない。

・日本の近代史で、この国の元気がよかった時代が二度ある。一度は明治維新、二度目は終戦後である。わかりきったことだが、両方の時期ともに、若い世代が社会の中心にあった。この国を元気にするには、公から年寄りを吹き飛ばせばいいのである。

・公職で成功した年寄りとは、ふつう世間の中に座り込んで動かない人なのである。それがどかないから邪魔だというのなら、方法は二つある。年寄りをつまみあげてどけてしまうか、世間の塀を別なところに移してしまうことである。年寄りをつまむと、痛いとか、失礼だとかいうであろう。それならおそらく、二番目が正解である。いつの間にか、塀が移動してしまった。それはつまり世間のルールを変更するということである。

・タバコの害をいう人は、証拠になる論文が山のようにあるという。そういう意見を聞くと、私はすぐに、その研究費を出したのは誰だと聞きたくなる。タバコの害について研究しろと、背後で動いている金持ちがいるはずである。

・タバコのみのほうが寿命が長いなんて統計は、簡単に作れると思う。そもそも元気な人でなきゃ、タバコなんか吸わないからである。

・真実とは、そこに留まっている情報ではない。生きて動くものなのである。だから真実とは「追求する」ものであって、「与えられるもの」でも、「そこに転がってじっとしている」ものでもない。それを止まっているものだと信じると、原理主義に陥る。

・言葉の世界では、すべては言葉に交換可能だからである。古い日本人が「言葉にならない」と表現するとき、西欧世界の文明人は「言葉でいえないことはない」という。「言葉でいえないことはない」という世界は、なにごとも言葉を交換可能だという世界で、そこから「金で買えないものはない」までは、ほんの一瞬である。

・政治で世の中が「よくなる」と思うのは、雨乞いすれば雨が降るという信念と、似たようなものであろう。

・一度くらいは誤解を正そうとする。相手がそれを聞かなければ、それ以上を強制する気はまったくない。それで損をするのは相手であって、私ではない。それなら放置しておくに限る。

・当時は物流が止まったから、疎開するしかなかったのである。物流がむずかしくなれば、モノのあるほうに人間が引っ越すしかない。

・最近は本当に便利で、インターネットで引けば、著者インタヴューは読めるし、経歴はわかるし、本は買えるし、これでは読者はダメになりますわ。楽をすると、その分、どこかで元を取られる。

・人権だとか、生命尊重だとか、なぜわかりきったことをわざわざいうかといえば、じつはそういうものが欠けてきたからであろう。どうしてそうなったかというなら、石油の力に比べたら、人間の肉体の力など知れたものに思えるからである。つまり人間の能力が安っぽく見える。それだけのことではないか。

・大日本帝国は石油の禁輸を食らって、戦争に踏み切ったのである。石油の出ない国が、軍備を石油に頼って、それが切れたらどうするなんて、考えてなかったのか。そういいたくなりませんかね。



小説を読みながら考えた

小説を読みながら考えた

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2007/04
  • メディア: 単行本



タグ:養老孟司
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