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『黒猫の刹那あるいは卒論指導』 [☆☆]

・「優美な屍骸」は複数の人間が、互いの制作過程を知らずにそれぞれ作った作品を組み合わせる技法で、その狙いは集団コラージュによって個人の価値観を超越することにあるらしい。

・利休は由緒や世評に囚われず当世風で空間に見合った書を飾った。当時としては、異端以外の何でもないことだけれど、風流心に任せて常識を超えるのが、侘びの精神だったんだ。

・利休は、秀吉が愛好した赤の茶碗に対立するように黒を好んだ。現実の陰になったものを尊ぶことで現実を密かに笑う精神が、「数寄」のなかにあったと言えるでしょう。

・答えがあらかじめあるものを探すのが勉強だと、それまで何となく思っていた。しかし、研究は自分で答えを作り出さなくてはならない。正解はなく、答えを作るのも、証明するのも自分自身。

・かと言って奇抜なことをすればいいというものでもない。本質に触れるものか、新たな価値を創造するものでなければね。

・抹茶は日本のエスプレッソです。

・ただ受け身になって与えられる情報を摂取しているだけだと、いつまで経っても知識は増えていかない。自分のアンテナがなければ、すべては流れゆく文字の川でしかないのだ。

・たとえば、今だったら美術館に行かなくてもネットを閲覧すればピカソの絵が見られる、といった具合だ。好事家でなければ、いまの時代は芸術にお金を払わない。これって複製技術が意識を変化させたってことじゃないかな。

・大衆の目にさらすことが商売にならなくなれば、迎合する必要がなくなる。かえって芸術は今後先鋭化していって消費芸術とそれ以外の二極化が激しくなるだろう。

・一部の鑑賞用の品種に関しては数は減っていった。食物としての鶏の価値が一般に流布して、鶏を鑑賞して愉しむ人口は減っていったんだ。

・「一つの恋が終わって新しい恋が始まる」なんて、青臭い恋愛遊戯を愉しんでいる奴らの戯言にすぎない。本物の恋は、終わったりしないんだ。

・記憶と言葉は結びついている。だから日常的に聞く言葉でなければ、滅多に記憶の扉が開かれることもないのだが、そのくせ少しも埃をかぶっている気配がないのは不思議だ。

・私はあなたの母親だけど、老いを知るエキスパートがいるなら、その方たちのお世話になったほうがいいわ。

・一応釘を刺しておく程度で、自分の言葉が効果を発揮するかどうかには興味がない。

・ストーカーか、恋愛の範疇かは、追われて迷惑か嬉しいかという受けての主観で決まる。

・語り手は、いわばラベルと内容の不一致のために恐怖を抱いているんだ。そこで語り手は恐怖を取り除くために、ラベルと内容の一致を試みる。

・作業か、仕事か。その差は微々たるものでありながら、決定的に違う。

・11時59分のあとが12時ちょうどであるように、先が読めてしまう。

・殺意を抱くくらい嫉妬してくれて、嬉しかったに違いないよ。

・美学は感性という主観を省察することで成立する学問なんだよ。

・僕は、つねに1秒後の僕によって更新されている刹那的な存在に過ぎない。





黒猫の刹那あるいは卒論指導 (ハヤカワ文庫JA)

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