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『悪魔のサイクル 日本のよりかかり的思考』 [☆☆]

・人サマに「倒れても安全な石油ストーブ」を売りつけ、「スイッチを止め忘れても、高温になると自動的に止まる電器ストーブ」をヤッキになって宣伝している企業が、こともあろうに自社員にむかってその器具そのものの使用を「火災上の理由」から固く禁じているのであった。

・師を「敬う」ということと、師が「ただ単に師であるという理由で敬わなくてはならぬ」ということの間には、少なくとも私自身の心の中には大きな隔たりがあった。早い話が、クルマがガソリンスタンドに立ち寄るのは水を補給するためではない。

・アメリカの貧しい家庭の子供は、同じ環境の日本の子供よりも、他人に対する思いやりがないように思う。第一、我慢したり、凝っと堪えたりする躾がまるでなってない。彼らは他人には迷惑なことだって、非難されないかぎり平気でやってのけるのだ。

・先に手を出すのは日本人。大人しく礼儀正しいはずなのに突然怒り出したり、無礼におよぶ例はつとに有名。

・明治期の日本人の混迷は上昇苦悩として表われたが、太平洋戦争後期の日本人の苦悩は下降的混迷ではなかったか。

・この母親は、わが子と世間の人とを同じ天秤にかけて正当に評価するだけの客観的な判断力を、はたしてもっているのだろうか。老婦人を押しのけてもわが子を座らせようとする母親の無邪気さ加減に、私は欠けている何物かを見た。

・知的刺激から置き去りにされた母親は、残業がちの父親の名代として子供の教育の任にあずかるが、自分自身の成長のチャンスも途絶えてしまうところから、夫だけでなくそのうちわが子の成長にも、ついていけない羽目になる。

・日本の若き音楽家が、畢竟乗り越えられない壁は生活環境にあるのではなく、生活態度に深く関係しているように思う。幼年から音楽一筋に打ち込むごとき生活態度の幅の狭さもさることながら、芸術にとって何よりも大切な感受性が砂漠のように干からびた日常生活によって奪い去られているからだろう。

・幼稚園教育に早期教育をダブらせようとしたがる世の教育ママ族は、わが子をいち早く大人並みに仕立て上げたい、という無知な願望に憑かれた世にも哀れな人間だ。

・人にモノを聞かれて口頭で答えるにはまず正確さ、そして整理された相当度の知識が要求される。即時的な返答は俊敏な理解力はもとより筆記では及ばないような能力が試される。

・大学卒業時にさえせいぜい二次方程式の解法と因数分解が、唯一使用可能な道具といった人間がいるのは、受験地獄の影響とはいえ実に悲しむべきことだ。

・本当に身につけなくてはならぬことは理論的習熟ではなく、論理的把握である。習熟は知識の集積、時と経験を積むと習得できる知識にほかならない。死せる知識である。自力で対象を全体的に掴もうとする能力は論理的把握のことであって、生きた体系的な知識である。

・教授は言う。「学生の質的低下と学習に対する不熱心が、私たちの情熱を奪っている」 だが、学生も「広い教室で欠伸の出るような講義を聞いていると、なんだか躰から力が抜けていくみたいだ」と訴える。

・世の中の大勢が目下二極分解の過渡期の心理的気分を反映しているのかもしれない。いずれにしろこのような中間色指向層は、そのうち解体されてしまうだろう。

・第一に学生は教授を頼りにするな。第二に社会に役に立たないような大学ならば、スキップしてしまえ。第三に自分が社会に役に立たないような人間ならば、隠れて生きよ。第四に自分が自分にとって陳腐に思えたら、生きることを諦めよ。要するに徹底した生き方をしてみたら、ということである。

・楽天主義者はドーナツのリングを見てしまうが、悲観主義者はドーナツの穴のほうが気になって仕方がないものだ。

・かつて全国の学校の指導体制を中央に集中したところの文部省にかわって、今日では、ローカル色を抜き去り全国紙的平準化に寄与しているマスコミが、現下の共属化パターンの中枢を代表しているといっても過言ではないだろう。

・報道と解説の領域に境目がなく、混然たる一体感を与え、読む者にとって筆者がいかなる立場にあるのか、定かではない場合も多い。

・読者の思考・感情回路を、もっぱら新聞が代替えしてくれているので、いうなれば私たちは自らの思考や感情を奪われ、アトミスティックな動物に押し下げられているのだ。

・「公器」とは、「よりかかり」のみごとな表現、といわねばならぬゆえんであろう。

・自然はあれこれと外から分析したり、保護したりするべき対象ではなく、「自ら然り」としてあるような実体、つまりエーテルのごとき存在であったのだ。

・日本人には学校の教科書と現実社会のいわば生活の知恵とを区別してかかる癖がある。教室で学んだことがらをきっぱり忘れたところから社会人としての第一歩がはじまる、と思っているふしがある。

・日本は必ず近いうちに経済大国にのしあがるだろう。もし産業が環境破壊に対する先行投資をやらないとなると、当然いまの日本の経済成長のテンポはヨーロッパをしのぐものになるだろう。

・文字通り「何もない」ガランドウの空間に対峙している人間にこそ「孤独」そのものが襲う、と私は思う。哲学者はその事情について「虚無との格闘」なる言葉をあてはめている。

・会議では、大胆な発言はなるだけ避けなければならない。誰か他の者がマナ板のコイになるのをまってから、そいつの徹底的な料理にかかるのが、わが日本人のとる常套手段だろう。

・物体の速さは光の速さに近づくにつれて質量を増すので、電子のように有限の質量をもつ物体をどんなに加速してみても、永久に光の速さに近づけない、とアインシュタインはいう。



悪魔のサイクル―日本人のよりかかり的思考 (新潮文庫)

悪魔のサイクル―日本人のよりかかり的思考 (新潮文庫)

  • 作者: 大前 研一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1988/05
  • メディア: 文庫



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