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『善と悪の経済学』 [☆☆]

・誰もが知っているとおり勝ったのは地動説だが、いまだに私たちは「日が昇る」とか「日が沈む」と天動説的に表現している。

・人間の頭は、物語をもとにして考えるようにできている……だから人間の動機の大半は、自分の人生の物語を生きることから生まれる。

・物語がなかったら、人生は「次から次へと嫌なことが起こる」だけになるだろう。

・眼を見るためには眼の外に視点が必要だ。それが不可能なら、せめて鏡を使わねばならない。

・人間が初めて自分たちの記録を書き残すようになったとき、それは歴史や詩や思想を書くためではなく、商売のためだった。

・名前は、とくに文字として記録に残されたとき、肉体を超えて生き続ける。

・黄金の時期もあった。しかし進歩はしていない。変動があっただけだ。

・旧約聖書の教えには、富に対する嫌悪も貧しさの称賛もほとんど出てこない。富者を手ひどく軽蔑する厳格さが表れるのは、新約聖書になってからである。

・富者に対しては、富の誤った使い方やその危険性が警告されるだけで……富者自体を悪いとする文章は見当たらない。

・どの社会、どの時代にも理想像があり、人は無意識のうちにそれに従って行動する。

・「英雄は武器を下ろし、富裕になるための取引を始めた」のである。ご存知のとおり、取引に腕力は必要ないし、美しくなくても半神半人でなくてもかまわない。

・だが……成長は制限する必要がある。将来世代のニーズを考慮しなければならないからだ。

・森や草原は放っておいても育つのに対し、庭は日々手入れをし、耕さなければならない。

・現代はお金と借金の時代であり、後世にはたぶん「債務時代」として記憶されることになりそうだ。

・シャイロックが「アントニオはいい人間だ」と言うとき、それは倫理的によいという意味ではなく、返済能力を備えているという意味である。

・貨幣は古典的な役割(交換手段、価値の貯蔵手段など)のほかに、経済全体を刺激し、加速(あるいは減速)させるという、より強力な役割を果たすようになる。つまり一国の経済を動かすのである。

・GDPよりも数倍大きい債務が背後に存在する状況で、GDPの伸びを云々することに何の意味があるだろうか。富を得るために莫大な借金をしていたら、富を計測することに何の意味があるだろうか。

・働く者の眠りは快い。満腹していても、飢えていても。金持ちは食べ飽きていて眠れない。

・七日目は、仕事の成果をゆっくりと味わう日なのだから。安息日を守りなさいという命令には、創造には目的があり、終わりがあるというメッセージも込められている。

・西洋哲学の歴史はプラトンの脚注にすぎない。

・大きな都市では分業が発展するが、小さな都市ではほとんど存在できない。

・複数の快楽は併存できないことも指摘した。活動は、他のことから生じた快楽によって妨げられる……より心地よい活動が、そうでない活動を駆逐するのである……たとえば劇場で観客がさかんに菓子を食べるのは、大根役者が演じているときだ。

・『指輪物語』の中では、何一つとして売ったり買ったりされないことに読者は気づいておられるだろうか。細部にこだわる作者のトールキンは、物語のどこにもお金が出てこないよう細心の注意を払った。

・友人というものは、お互いにあまりにたくさん借りがあって、それがどれほどか忘れてしまうような間柄だとも言われる。

・広告は、まずあなたに買えないものを示す(安眠、しあわせな家族の朝食、美など)。そして、買うことのできる代用品(高価なベッド、朝食用シリアル、山小屋、シャンプー等々)を提案するのである。

・ゲームでプレーヤーがどちらも「目には目を」戦略をとった場合、つまり善には善で、悪には悪で報いた場合、悪がはるかに優勢になる。たった一回の悪、それもおそらくは偶然の結果が、延々と悪の応酬につながる。

・悪の最小化には慈悲や寛容のほうが、しっぺ返し戦略よりもはるかに効果的である。

・近代という時代の最も顕著な特徴は、「なぜ」よりも「どうやって」が重視されるようになったことだろう。言うなれば、本質よりも方法が重要になった。

・ある系の寿命は、その絶対的な確実性や論理的一貫性によって決まるのではなく、競合する系がほかに存在しない、ということが決め手となるらしい。

・あわれ大勢の蜂は死に絶え、ごく少数だけが生き延びる。それ以外は必要ないし、生計も立てられないからだ。

・見栄と虚栄から建てられる病院の数は、徳が束になってかかるよりも多い。

・悪徳を恐れる必要がないせいで、怠惰な安楽とばかげた無知に満ちたこの国では、立派な美徳も期待できない。

・国家は悪徳を必要とする、食事が空腹を必要とするように。徳だけで国民の暮らしを豪勢にするのは無理な相談。黄金時代の復活を願う人は、正直にも質素にも無縁であるべし。

・経済が裸で傷ついているときのほうが、自信満々ですべてをばかにしているときよりも、多くを知ることができる。強さは往々にして物事の本質を隠してしまうが、弱さはそれを露呈するからだ。

・現代人は足りないものを教えてくれる人を必要としている――だから広告が現代社会に欠かせないのだ。教えられて初めて、もっと欲しいという欲が出てくる。

・欲望とは、自分が持っていないというだけで、本当には必要ではないものを欲しがる気持ちを意味する。

・現代の先進国社会は飢饉に苦しめられることはないが、逆の問題を抱えている――すでに満腹の人に何を食べさせるか、ということだ。

・アメリカは、年ベースで比較するとフランスより生産性が高い。ところが時間ベースで比較すると、フランス人の方が多くなる。この違いは、主に休暇の日数が原因だ。

・ヨーロッパの人々がGDPを増やしたければ、休暇を半分に減らして働けばよい。これで問題は解決である。しかし、GDPを増やすことにそれだけの価値があるのだろうか。

・アダムとイブは、知恵の木の実を食べたために善悪の違いがわかるようになったのなら、食べる前には価値中立的だったはずだ。二人は何がよくて何が悪いか知らなかった。つまりこの点に関する限り、無知だった。

・善悪の違いを抽象的に区別できるわけではなく、したがって善を行なえるわけでもないが、善と悪は違うのだとぼんやりと感じとれるようになった。

・地獄への道は善意で舗装されている。

・悪なしでもできることをするために、悪い手段が選ばれている。つまり悪は、不適切な近道である。

・脱工業化時代の結末を描くこの種のサイバーパンクは近年人気が高いが、一言で言えば「ハイテク&ローライフ」と要約できるだろう。

・映画は人間の内なる自己を映し出す鏡であり、おそろしいのはスクリーン上の映像ではなく、それが鋭く暴き出した人間の内面の方である。

・映画があたかも「現実の生活から」抜け出してきたように作られはじめたときから、人々は「映画から」抜け出してきたかのように人生を生きたがっているのではあるまいか。

・(1)数学は探求の原動力としてではなく、簡略な言語として使う。(2)探求が終わるまでは数学から離れない。(3)数式を英語に翻訳する。(4)現実の生活で重要な意味のある例を使って説明する。(5)数式を燃やす。(6)(4)がうまくいかない場合は、(3)を燃やす。

・英語でもって数式と同じ長さで表現できる場合には、数式を使うことは何としても禁止すべきだと思う。

・数学は、新しい外国語と同じで、ルールを学びさえすれば誰にでも通じる普遍性を備えている。

・数学のいい意味でのプライドは、「数学原理主義」や「数学急進主義」とも言うべきものに結びつきやすい。こうしたイデオロギーに陥ると、少しでも不正確だったり主観的だったりするものを何によらず拒絶することになる。

・あるものが真理と見なされるのは、解決できない問題や矛盾に突き当たるまでだけで、矛盾にぶつかると、新たな真理が創造あるいは発明される。

・仮定は言わば足場として組まれ、人工的な補助手段として建設作業に活用されるが、建設が完了すると撤去される。

・経済学の場合には、往々にして仮定を撤去することができない。建築後であっても、である。仮定を取り去ると建造物全体が崩壊しかねない。

・今日最も頻繁に未来を予言し、古代の信託の代役を務めているのは、経済学者である。悩ましいのは、予言が再三外れること、おまけに重要な事柄は預言できないことだ。

・経済学者は未来を説明したがっているが、実は過去さえ説明できないことがままある。たとえば、経済学者は1929年の大暴落の原因についていまだに意見が一致していないし、大恐慌が終わった理由についても一致していない。

・経済学者は、未来を予想するときに魔法の呪文を使う。毎回、「セテリス・パリバス(ceteris paribus)」と唱えるのだ。これは、「他の条件が等しければ」とか「他の条件が一定なら」というほどの意味である。

・一人ヨナだけが不満だった。結局のところ、滅びどころか何も起きなかったではないか。ヨナの預言が信頼に足るものだったがゆえに、そして人々がその預言を真摯に受けとめ改心したがために、預言は外れ、町は救われた。ヨナは、自分が希代の人騒がせ男になってしまったと感じたに違いない。

・どの馬が勝つか、誰だって知りたいに違いない。だがもしそれが可能なら、競馬は即刻打ち切りになるだろう。未来の不確実性に人はよく苛立つけれども、楽しい体験をたくさんできるのは、まさに先がわからないおかげなのである。

・子供の頃に1+1=2と教えられて、他の諸々のことと同じく「どうしてそうなるの?」と感じるときだ。数学でさえ、最初は感情で受けとめられる。1+1は必ず2になるのだと繰り返し確認することによって、この感情は次第にハード化され、信頼できる確固としたものになる。そうなれば、毎度確認や証明をしなくても、安心して活用できる。このように繰り返し確認することを通じて、感情的知覚はハード化され、「理性になる」のだ。

・言葉は、主観的な感情を既存の最も近い表現に「言語的四捨五入」したものにほかならない。

・一部の学者が安定して感情と不安定な感情を区別し、安定した不変の感情をしばしば理性とみなすことが、混乱を引き起こしている。たとえば金銭や自己利益への関心は、単に安定した感情にすぎないにもかかわらず、合意的とされる。

・経済学者は、知識獲得のもう一つの面を無視してしまう。それは感じること、謎を発見すること、インスピレーションをつかまえること、芸術や美に心を開き感性に従うことである。

・「我々を突き動かすのは問」なのである。

・驚いたことに、森の真ん中には空き地があった。道に迷った者だけが見つけられる、生い茂った木に隠された空き地。

・亡霊は人間を攻撃はしないけれども、無言で凝視する。うつろな、恨みがましい、非難するような、その眼。彼らは身の上に起きた不正や暴力を恨んで、生きている人間につきまとう。肉体を離れて浮遊する魂は、絶えず責め立て、不条理に過大な要求をする。

・人間は生まれながらにして社会的動物である。したがって無知な状態でも社会生活を営む。

・ある意味で、テレビで放映される現実は、現実の影に過ぎないと言える。テレビで育った人間は、ものごとをそういうものとして見るようになり、現実にしばしば失望させられる。



善と悪の経済学

善と悪の経済学

  • 作者: トーマス・セドラチェク
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: 単行本



善と悪の経済学―ギルガメシュ叙事詩、アニマルスピリット、ウォール街占拠

善と悪の経済学―ギルガメシュ叙事詩、アニマルスピリット、ウォール街占拠

  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: Kindle版



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