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『光秀の定理(レンマ)』 [☆☆]

・自らには何ら関わりもない人物の噂に一喜一憂する。それが浮世の習いだとすれば、所詮この世など、退屈しのぎの一時の狂言の場に過ぎない。愚人どもの一夜の夢だ。

・兵法など、どのように言葉を飾ったところで人殺しの技に過ぎん。しょせん畜生道の芸事だ。

・人は、貧窮には飢え死に間際までいかぬ限りは耐えられる。しかし、貧しさのために被る精神的な辱めには、寸分たりとも平常心ではいられない。

・だいたい人間、まともな神経の持ち主なら、出会い頭ならともかくも、言葉まで交わした相手を、そうそう殺せるものではない。

・自分が馬鹿だとも思ってはおらぬが、さりとて凡人の域を出るような頭でもないことを知っている。また、そう常に自覚して生きることが、せめて凡人から愚者の道に落ちぬ唯一の方法だとも感じている。

・出来星の大名たちは、この狭い島国で「天下」だの何だの言い騒いでおる。が、「天下」とは本来、限りない地平を感じてこそ初めて使う言葉だ。この世のすべて、という意味だ。それも知らずにと、堺や平戸の商人どもはみな陰で嗤うておるぞ。

・じゃが賊は別じゃ。日頃から人のものを奪い、傷つけ、殺す。いわば常に命を賭け物にしている渡世だ。翻って言えば、どんな愚者にも犬死する程度の覚悟はできておろう。命の軽重ではない。その者どもの覚悟の問題だ。構わぬ。すべて斬り殺せ。

・わし自身が学も無く、血の巡りも悪いから、そこらあたりにいくらでもころがっている平易な言葉で教えるしかない。小理屈も、難しいことも言えない。それが逆に、ずぶの素人にはわかりやすいらしく、圧倒的な受け方をした。

・人間、自分が何かの役に立っていることを実感するときほど、嬉しい瞬間はない。

・その無駄な多弁ゆえ、人としての目方が軽かった。

・人とは所詮、自分の得手とすることを通じてしか、賢くなれぬ。また、慶びもない。

・その大事とやら、どうせ過ぎたことであろう。今さら喚いても、元には戻らんのではないか。

・この時代に生きる武人なら、その時代の必然を倫理で測っては判断を誤る。

・この時代の「うねり」という劇の舞台に上がり、演じている側の人間だからだ。相手役が扇子を落としたからといって、それを非難していても話は前に進まない。それを見て反射的に行動するのが役者の立場というものであろう。相手役への非難・批評は、傍からその舞台を見ている観客、つまりは市井の人間に任せておけばいい。

・演じる側、それを受けて演じ返す側……物事は常に表裏一体となって変化し、うごめき、進む必然なのだ。倫理や観念、一時の結果論だけで事象を判断しては、事の本質を見誤る。

・そもそも理とは、素人にでもすぐに理解できるほど簡潔で、素朴なものなのではないか。また、そうでなくては、万人が理解できる理というものに汎化できないのではないか。

・この戦、勝のは当然で、ようはその勝ち方なのだ。

・この人の世の無意味なる必然を自ら悟れ。

・人の愛嬌とは、ちょうど政治家がその票田を耕すために人々に振りまく愛想と利権のようなものだと言ってしまえば、それまでだが。

・この稀代の大俗物は、その俗物性ゆえに自他の欲望に驚くほど目配りが利き、その欲という目線に立って動かし、天下を我が物とした。良い悪いではない。それだけのことだ。

・人格の形成期に、良くも悪くも流動的な人の波に揉まれていない。ようは、擦れていない。人見知りなのだ。そんな人間にありがちな傾向として、いったん親しくなった相手には、まるで親族のように懇ろに接し、自分の弱さも平気で曝け出す一方、そうでない相手に対しては、気持ちの上でつい垣根を作りがちだった。

・勝ち戦のときは勢いと欲に駆られてみなよく立ち働くものの、いったんその戦が互角か劣勢になると、驚くほど脆かった。

・あの四つの椀の理が、本当に意味するものは何じゃ。生き方を変えられぬ者は、生き残れぬ。簡単なことじゃ。四つの椀が二つになったときに、その初手の理が変わるように、世の中も変わっていく。ぬしが変わらなくても、ぬし以外の世の中は変わっていく。やがてその生き様は時代の条件に合わなくなり、ごく自然に消滅する。



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